エマ・アルバーニ
Emma Albani
基本情報
出生名マリー=ルイーズ=エマ=セシル・ラジュネス
生誕1847年11月1日
カナダ植民地
デイム・エマ・アルバーニ(Dame Emma Albani, 1847年11月1日 - 1930年4月3日)は、19世紀と20世紀初頭において先導的な役割を果たしたソプラノ歌手であり、また国際的スターにまで登り詰めた最初のカナダの歌手である[1]。
アルバーニのレパートリーはモーツァルトやロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、ワーグナーのオペラに集中しており、それらをヨーロッパやアメリカで演奏してまわった。
幼少期5歳のエマ・アルバーニ
アルバーニはマリー=ルイーズ=エマ=セシル・ラジュネス(Marie-Louise-Emma-Cecile Lajeunesse)として、カナダ連合州[n 1]のシャンブリー[n 2]で生まれた。父はジョセフ・ラジュネス(Joseph Lajeunesse)というプロの音楽家であり、母はメリーナ・ミニョー(Melina Mignault)であった[2][3]。彼女の生年月日は通常1847年11月1日とされるが、人によっては1848年から1850年の間とすることもあり、本人の回想録では1852年生まれとなっている[4]。彼女はまず母親について音楽の学習を始め、5歳の時に父がその役割を引き継いで音楽教育を施した[5]。父は熟練の音楽家であり、ヴァイオリン、ハープ、ピアノそしてオルガンの腕に覚えがあった。父はアルバーニに厳しい練習を課し、彼女の1日のハープとピアノの稽古は4時間にも及んだ。
1852年、一家はニューヨーク州のプラッツバーグに移り住んだ[6]。1856年に母を失った後も、彼女はモントリオールの修道会で勉学に勤しんだ。この修道会は聖母聖心大学[n 3]の運営するもので、アルバーニの父はそこで音楽指導者の職に就いていた。ここでの学びは彼女にとって他で受けられるものよりも良質であり、また追加の音楽指導も受けることができた。1860年8月24日、彼女はアデリーナ・パッティ[n 4]とともに、シャルル・サバティエ[n 5]の「カンタータ」の世界初演のソリストを務めた。