この項目では、プロボクサーについて説明しています。野球選手については「エマヌエル・ロドリゲス (野球)」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はロドリゲス、第二姓(母方の姓)はバスケスです。
エマヌエル・ロドリゲス基本情報
本名エマヌエル・ロドリゲス・バスケス
通称Manny
El Sensacional(センセーション)
El Matador(闘牛士)
階級バンタム級
身長168cm
リーチ169cm
国籍 プエルトリコ
誕生日 (1992-08-08) 1992年8月8日(31歳)
出身地マナティー
獲得メダル
プエルトリコ
男子 ボクシング
ユースオリンピック
金2010 シンガポールフライ級
世界ユース選手権
銀2010 バクーフライ級
エマヌエル・ロドリゲス・バスケス(Emmanuel Rodriguez Vazquez、1992年8月8日 - )は、プエルトリコのプロボクサー。マナティー出身。元IBF世界バンタム級王者。 ロドリゲスは当初ボクシングを始める前に野球とサッカー(ポジションはフォワード)をやっており、2006年にボクシングを始めた。ダニエル・サントスの指導を受け、2010年バクーで行われたAIBA世界ユース選手権では銀メダル、シンガポールで開催されたユースオリンピックでは金メダルを獲得している。 2012年6月1日、プロデビューで初回KO勝ちを収めた[1]。 2014年10月18日、カターノのコリセオ・コスメ・ベイティア・サマノにてマイケル・カタナヘナとWBOラテンアメリカバンタム級王座決定戦を行い、初回1分49秒KO勝ちを収め王座を獲得した[2]。 2015年2月21日、アティーロ 2015年5月30日、カターノのコリセオ・コスメ・ベイティア・サマノにてルイス・ヒノホサと対戦し、3回1分4秒KO勝ちを収め2度目の防衛に成功した[4]。 2015年8月22日、ファード
来歴
アマチュア時代
プロ時代
2015年9月25日、有力マネージャーのアル・ヘイモンと契約[6]。
2015年11月25日、フロリダ州ハイアリアのハイアリアパーク競馬場にてエリエセル・アキーノと対戦し、7回2分44秒TKO勝ちを収めWBAフェデラテン王座とWBCラテンアメリカ王座の初防衛にそれぞれ成功した[7]。
2017年3月4日、バークレイズ・センターにてIBF世界バンタム級3位のオマール・ナルバエスとIBF世界バンタム級挑戦者決定戦を行う予定だったが[8][9]、何度か延期した末に対戦は実現しなかった[10]。
2017年8月5日、ファハルドのコリセオ・エクエステレ・ムニシパルにてジョバンニ・デルガドと対戦し、4回終了時にデルガドが棄権した為、WBCラテンアメリカ王座の2度目の防衛に成功した[11]。