エマニュエル・ベアール
Emmanuelle Beart
ドーヴィルにて (2010年)
本名Emmanuelle Behart-Hasson
生年月日 (1963-08-14) 1963年8月14日(60歳)
出生地サントロペ近郊ガッサン
国籍 フランス
職業女優
配偶者ダニエル・オートゥイユ (1993年 - 1995年)
ミカエル・コアン (2008年 -)
著名な家族父:ギイ・ベアール(歌手)
母:ジュヌヴィエーヴ・ガレア(モデル・女優)
主な作品
『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』
『天使とデート』
『美しき諍い女』
『愛を弾く女
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(芸術貢献賞)
2002年 『8人の女たち』
ヨーロッパ映画賞
女優賞
2002年 『8人の女たち』
セザール賞
助演女優賞
1986年 『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』
その他の賞
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エマニュエル・ベアール(Emmanuelle Beart, 1963年8月14日 - )は、フランスの女優。 1963年8月14日にサントロペで生まれたとされるが、1965年という説もある[1]。父親は歌手であり詩人のギイ・ベアールで[2]、日本でも有名な歌『河は呼んでいる』で知られる。母親はイギリス生まれでモデル・女優だったジュヌヴィエーヴ・ガレア。自身はレバノン人、エジプト人、ユダヤ人、イタリア人、ギリシャ人の血を引く。ブロンドの髪、ブルーの目のイメージが強いが、本来の髪色はブルネットである。 1976年に映画『Demain les momes』で女優としてデビュー。15歳でカナダに留学した折、ロバート・アルトマン監督と出会い、女優の道を勧められたことを機に、帰国した1982年から改めて本格的に演技の勉強を始める。1986年の『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』でセザール賞助演女優賞を受賞。翌1987年には『天使とデート』でハリウッドに進出した。1991年の『美しき諍い女』では4時間近い上映時間の多くをヌードで演じて話題になった。1995年には『フランスの女 『優しく愛して』(1985年)や『愛と宿命の泉 PART2/泉のマノン』(1986年)で共演した俳優のダニエル・オートゥイユと1993年に結婚し、同年に長女を出産するが、2年後の1995年に離婚。1996年には音楽プロデューサーとの間に長男をもうけた[3][4]。2008年8月に俳優のミカエル・コアンと結婚している[4]。 また、人権保護活動に熱心であり、1997年には移民の権利擁護のデモに参加して逮捕されたこともある。1996年から2006年までの10年間、ユニセフのフランス代表親善大使であった。 公開年邦題
来歴
私生活
主な出演作品
原題役名備考
1983青い性 処女喪失
Premiers desirsヘレン日本ではVHSスルー
別邦題『デビッド・ハミルトンの妖精たちのプレリュード/朝霧に香る甘い旋律』『妖精たちのプレリュード』『青い性』
1984Interdit アンテルディ/禁じられた愛
Un amour interdit コンスタンス日本ではVHSスルー
1985優しく愛して