エボニー・アンド・アイボリー
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}ポール・マッカートニー > ポール・マッカートニーの作品 > エボニー・アンド・アイボリースティーヴィー・ワンダー > スティーヴィー・ワンダーの作品 > エボニー・アンド・アイボリー

「エボニー・アンド・アイボリー」
ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダーシングル
初出アルバム『タッグ・オブ・ウォー
B面レインクラウズ
リリース1982年3月29日
録音1981年
ジャンルポップス
時間3分42分
レーベル パーロフォン
コロムビア・レコード
作詞・作曲ポール・マッカートニー
プロデュースジョージ・マーティン
チャート最高順位


1位(イギリス)

1位(アメリカ) [1]

1位(ドイツ)

1位(ノルウェー)

2位(スウェーデン)

2位(スイス)

2位(オーストラリア)

3位(オーストリア)

26位(日本)

ポール・マッカートニー 年表

テンポラリー・セクレタリー
(1980年) エボニー・アンド・アイボリー
(1982年) テイク・イット・アウェイ
(1982年)

スティーヴィー・ワンダー 年表

ザット・ガール
(1982年) エボニー・アンド・アイボリー
(1982年) ドゥ・アイ・ドゥ
(1982年)



テンプレートを表示

「エボニー・アンド・アイボリー」(Ebony and Ivory)は、1982年ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダーによって発売された楽曲およびシングル
概要

マッカートニーのアルバムタッグ・オブ・ウォー』及び、1987年に発売されたベスト・アルバムオール・ザ・ベスト』、2016年のベスト・アルバム『ピュア・マッカートニー?オール・タイム・ベスト』に収録。4月29日にシングル発売された。スティーヴィーの一部のベスト・アルバム(例: 『The Definitive Collection』)にも本曲は収録されている。

1981年2月28日にモントセラトのAIRスタジオにてレコーディングが行われた。演奏はマッカートニーとスティーヴィーの二人のみで行われている。また、同日には12インチシングルのみに収録されたマッカートニーのソロ・バージョンもレコーディングされた。ブラックミュージックの巨匠とされるスティーヴィーと、ポップミュージックの天才マッカートニーの組み合わせは「夢の共演」とも言われた。

この曲は、「ピアノ黒鍵(Ebony)と白鍵(Ivory)が一つのハーモニーを奏でるように、白人と黒人、無色人種と有色人種、すなわち人類が調和する」ということをテーマをマッカートニーとスティーヴィーのデュエットで歌い上げ、世界で反響を呼んだ。アメリカビルボード(Billboard)では、1982年5月15日に、週間第1位を獲得しそれは7週連続に及んだ[1]。ビルボード誌1982年年間第4位。キャッシュボックス誌では、5月15日から第1位を6週間獲得し、年間第4位を記録した。イギリスでも週間チャート第1位を獲得し、マッカートニーにとってはビートルズの解散後、ウイングス時代を含めてイギリス・アメリカ両方の国で1位を獲得した初の、また唯一の曲となった。日本でもオリコン洋楽チャートで第1位を記録。

ミュージック・ビデオでも2人が共演しているが、互いのスケジュールの都合上共演することが不可能であったために、別々に撮影した映像を合成して作られている[2]。また、1989年に行われたマッカートニーのライブ・ツアー『Get Back Tour』のうち、11月27日のロサンゼルス公演のアンコールで本曲が披露された際、客席にいたスティーヴィーが参加し、デュエットを披露した。

また、2010年にマッカートニーがアメリカの音楽賞〈ガーシュウィン賞〉を受賞しホワイトハウスで行われた授賞式で、アメリカ初の黒人大統領であるバラク・オバマ大統領の前で、スティーヴィーと共に本曲を演奏した。

カップリングである「レインクラウズ」は、ウイングスのメンバーでもあるデニー・レインとの共作である。また、本曲のレコーディング日の朝、自宅でマッカートニーは盟友であるジョン・レノンの訃報をマネージャーから伝えられ、平静を保つためにレインと共にロンドンのスタジオに籠り、レコーディングしたという[3]

また、12インチシングルのみ、「エボニー・アンド・アイボリー」のソロ・バージョンが収録されている。こちらはスティーヴィーとのデュエットではなく、マッカートニーが一人でボーカルを担当。また、ソロ・バージョンにもミュージック・ビデオが存在し、マッカートニーがピアノを弾き語り、黒人ダンサーや黒人の囚人が出演したものとなっている。
収録曲
エボニー・アンド・アイボリー (Ebony And Ivory)

レインクラウズ (Rainclouds)

12inch

エボニー・アンド・アイボリー (Ebony And Ivory)

レインクラウズ (Rainclouds)

エボニー・アンド・アイボリー (ソロ・バージョン) (Ebony And Ivory) (Solo Version)

参加ミュージシャン
エボニー・アンド・アイボリー


ポール・マッカートニー -Vocal, Backing vocal, Bass, Guitar, Piano, Synthesizer, Percussion, Vocoder

スティーヴィー・ワンダー -Vocal, Backing vocal, Electric piano, Synthesizer, Percussion, LinnDrum, Drums

レインクラウズ


ポール・マッカートニー -Vocal, Backing vocal, Spanish guitar, Bass drum

リンダ・マッカートニー -Backing vocal

デニー・レイン -Backing vocal

エリック・スチュワート -Backing vocal

パディ・モローニ -Uilleann pipes

エボニー・アンド・アイボリー (ソロ・バージョン)


ポール・マッカートニー -Vocal, Backing vocal, Bass, Guitar, Piano, Synthesizer, Percussion, Vocoder

スティーヴィー・ワンダー - Electric piano, Synthesizer, Percussion, LinnDrum, Drums

脚注^ a b “Stevie Wonder”. Billboard. 2023年1月17日閲覧。
^ 映像作品 『The McCartney Years』のマッカートニーのインタビューより
^ Rodriguez, Robert (2010). Fab Four FAQ 2.0: The Beatles' Solo Years, 1970?1980. Milwaukee, WI: Backbeat Books. pp. 455?56. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-1-4165-9093-4. https://archive.org/details/missodellmyhardd00odel 


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:43 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef