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やノートページでの議論にご協力ください。株式会社エフエム山形
FM Yamagata Co., Ltd.本社
種類株式会社
略称FM山形、Rhythm Station
本社所在地 日本
〒990-9543
山形県山形市松山三丁目14番69号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度14分08.1秒 東経140度21分11.3秒 / 北緯38.235583度 東経140.353139度 / 38.235583; 140.353139座標: 北緯38度14分08.1秒 東経140度21分11.3秒 / 北緯38.235583度 東経140.353139度 / 38.235583; 140.353139
設立1988年(昭和63年)9月1日
業種情報・通信業
法人番号5390001000245
事業内容放送法による超短波放送
代表者代表取締役社長 桑嶋誠一
資本金8000万円
主要株主読売新聞グループ本社 12.4%
(2021年12月28日時点)[1]
外部リンクhttps://rfm.co.jp/
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エフエム山形
FM Yamagata Co., Ltd.
放送対象地域山形県
系列JFN系
略称なし
愛称Rhythm Station
コールサインJOEV-FM
開局日1989年4月1日
本社〒990-9543
山形県山形市松山3-14-69
演奏所本社と同じ
親局 / 出力山形 80.4MHz / 1kW
主な中継局鶴岡 76.9MHz
新庄 78.2MHz
米沢 77.3MHz
公式サイトhttps://rfm.co.jp/
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株式会社エフエム山形(エフエムやまがた、FM Yamagata Co., Ltd.)は、山形県を放送対象地域として超短波放送(FM放送)を行っている特定地上基幹放送事業者である。
通称はFM山形、愛称はRhythm Station(リズム・ステーション)。コールサインはJOEV-FM。JFN系列局。 この節には複数の問題があります。改善
概要
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2021年8月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2021年8月)
開局時から使用した愛称は「Boy-FM」(ボーイ・エフエム)だった。これはデジタル表記で山形送信所の周波数「80.4」を表すと「Boy」に見えたためであった(ジングルでは「Broadcasting FM of Yamagata」と流れていたのでその略称でもある。)。
2010年4月1日より愛称をRhythm Stationへ改称、それと同時にホームページのアドレスをこれまでの「 ⇒http://boyfm.co.jp/ 」[注 1] から後述のアドレスに変更し、音楽番組を中心とする大幅な番組改編を行った。また自社制作番組も大幅に増設し、金曜に5時間半の生ワイドを新設するなどの大改編を行った。ちなみに、5時間半という長時間の生ワイド放送は開局以来初めてのことである。
2022年4月現在、自社制作の比率はJFN加盟局の中では一番低い。月曜 - 木曜は30分以上の自社制作番組は夕方の生ワイド番組「WAVE 4 yamagata」しかなかった[注 2]。自社制作による平日朝の生ワイド番組は、2020年3月まで「Start Up」が放送されていたが、同改編で終了。同番組内の一部コーナーは全国ネット番組に内包させた。翌2021年3月に金曜の『Smile Box』終了で全曜日で朝ワイドが消滅したが、2024年4月から『Sparkle Morning』の開始により金曜のみであるが朝ワイドの放送を再開している。
日曜については2021年3月まで5分枠の「Monthly Hyper Play」以外自社制作番組は一つもなかった[注 3][注 4]が、同年4月より夕方に30分の自社制作番組「MUSIC PICKLES」の放送がスタートしている。 山形県にFM放送の周波数割り当て後、免許申請は山形新聞と日本経済新聞(日本経済新聞社)が主導権争いを展開した[2]。両新聞は、実在しないダミーの申請者を作ったとされている[2]。 その後、一本化調整の会議において日本経済新聞側は反対票を投じたものの、圧倒的多数の賛成で山形新聞側にまとまったとされている[3]。初代社長には、田中哲(山形放送編成部長、山形テレビ常務を歴任)が就任[3]。当初は山形テレビ本社内にエフエム山形用のスタジオを設置する予定があった[3]。また、エフエム山形が開局するまでは、山形県内に広告代理店が存在せず、山形放送(YBC)・山形テレビ(YTS)の広告取り次ぎは山形新聞社が担っていた[3]。 なお、主導権争いに参画した日本経済新聞は開局後、夕方のニュース枠において配信元として協力することになった[3]。 テレビ・ラジオを通じて全国初の平成新局。県内ではその半年後の10月1日にテレビ初の平成新局のテレビユー山形(TUY)が開局した(同日にはテレビ・ラジオ計4局が開局した)。
開局の経緯
会社概要
本社:山形県山形市松山三丁目14番69号
庄内支社:山形県鶴岡市茅原町28番47号
東京支社:東京都千代田区麹町一丁目8番 JFNセンター4階
沿革
1984年(昭和59年)11月:電波監理審議会の答申に基づき、郵政省(当時、現在の総務省)は山形県とともに青森・埼玉・千葉・奈良・徳島・鹿児島の計7県に県域民放FM局の周波数を割り当てる[4]。