エピダウロス
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この項目では、ギリシャの都市および世界遺産となっている遺跡について説明しています。クロアチアの古代ギリシア都市については「エピダウロス (ダルマチア)」をご覧ください。

エピダヴロス
Επ?δαυρο?

エピダヴロスの町(パレア・エピダヴロス)

所在地
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座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯37度38分 東経23度8分 / 北緯37.633度 東経23.133度 / 37.633; 23.133座標: 北緯37度38分 東経23度8分 / 北緯37.633度 東経23.133度 / 37.633; 23.133
域内の位置
行政
国: ギリシャ
地方:ペロポネソス
:アルゴリダ県
人口統計 (2001年)
ディモス
 - 人口:9,275 人
 - 面積:338.1 km2
 - 人口密度:27 人/km2
旧自治体
 - 人口:4,471 人
キノティタ
 - 人口:1,935 人
その他
標準時:EET/EEST (UTC+2/3)
自動車ナンバー:AP

エピダウロス(古代ギリシャ語: ?π?δαυρο?, ラテン文字転写: Epidauros) あるいは エピダヴロス(現代ギリシャ語: Επ?δαυρο? / Epidavros)は、ギリシャペロポネソス半島東部に位置する古代ギリシアの港湾都市。現在はペロポネソス地方に属する基礎自治体ディモス)のひとつである。

エピダウロスは、ギリシア神話の名医アスクレピオスゆかりの聖地とされる。アスクレピオスを祀った聖域の遺跡には、古代の劇場が美しい形で残っていることで知られ、「エピダウロスの考古遺跡」として世界遺産に登録されている。この遺跡を単に「エピダウロス」と呼ぶこともあるが[1]、遺跡は港町エピダウロスからは8km離れた郊外にある。
地理
位置・広がり

都市としてのエピダウロスはサロニコス湾に面した港町で、首都アテネの南西約65km、コリントスの東南約40km、県都ナフプリオの東約30kmに位置する。現在はパレア・エピダヴロス (el:Παλαι? Επ?δαυρο? Αργολ?δα?) (「旧エピダウロス」の意)の名で呼ばれる、1700人ほどの人口を有する。

自治体としてのエピダウロス市は、20世紀末以来2度の自治体統廃合により、沿岸部から内陸部にかけて大きな面積を持つ。2011年の統廃合では西に隣接するアスクリピイオ市と合併した。

エピダウロス遺跡(アスクレピオスの聖域)は、パレア・エピダヴロスから約8km南西に隔たった内陸部にある。2010年まではアスクリピイオ市(「アスクレピオス神殿」アスクレペイオンに由来する地名である)に属していた。じっさい、旧アスクリピイオ市の中心であったリグリオの方がパレア・エピダヴロスよりもエピダウロス遺跡に近く、遺跡はリグリオの約4km南東にある。
主要な集落

エピダウロス市域に含まれる1000人以上の集落は以下の通り(人口は2001年国勢調査時点)。

リグリオ(Λυγουρι?
 : アスクリピイオ地区) - 2,678人

パレア・エピダヴロス(Παλαι? Επ?δαυρο? : エピダヴロス地区) - 1,733人

ネア・エピダヴロス(Ν?α Επ?δαυρο? : エピダヴロス地区) - 1,127人

市域最大の集落はリグリオで、エピダウロス市の政庁もここに置かれている。パレア・エピダヴロスからは西へ約11km、ナフプリオに向かう途上に所在する内陸の町であり、エピダウロス遺跡にも近い。ネア・エピダヴロス(「新エピダウロス」の意)はパレア・エピダヴロスの北方約5.5kmに位置する海沿いの町で、「第一回国民会議」(1821年)開催の地となり、近代ギリシャ史上重要な役割を果たした。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

リグリオの古い教会

ネア・エピダヴロス

エピダウロス遺跡の神殿

歴史
古代・中世劇場

古代ギリシアの時代、エピダウロスは独立の都市国家であり、エピダウロスの周辺地域はエピダウリア(Epidauria)と呼ばれていた。アルゴスアルゴリス)に属するのは古代ローマ時代に入ってからである。

伝承によれば、アポロの息子で名医のアスクレピオスが生まれた場所であるとされる[2]。もともとこの地域ではアポロ・マレアタス (Apollo Maleatas) (アポロと英雄マレアタスが習合された神格)が崇拝されており、丘の上の神殿もアポロ・マレアタスに捧げられたものであった。ミケーネ文明紀元前13世紀頃、ティリンスとエピダウロスを結ぶために建設されたアルカディコ橋(別名カザルマ橋。エピダウロス市域に含まれるアルカディコ (Αρκαδικ? Αργολ?δα?) に所在)は、現在も使用されている橋としては世界最古のもののひとつとして知られる。アポロ・マレアタス信仰が衰えた紀元前6世紀頃、アスクレピオスを崇拝する人々がこの地を聖域とした。

エピダウロスのアスクレペイオン(アスクレピオスの聖域)は、古典期のギリシャ世界においてもっとも祝福された医療の中心地となり、多くの病者たちが治癒を祈って集まった。正しい治療を見つけるために、患者たちは enkoimeteria という大きな寝室で一夜を過ごした。夢の中に神があらわれ、患者が病気を治すために何をすればよいのかを告げるという。聖域の遺跡では、160部屋あるゲストハウスが見つかっている。遺跡の周辺には、治療に用いられたかもしれないいくつかの鉱泉が存在する。

アスクレペイオンはエピダウロスに繁栄をもたらし、紀元前4世紀?紀元前3世紀には、記念的建築物の建設や拡張など、野心的な建築計画が実施されている。名高い野外劇場や、儀式を行う際の宴会場、浴場、競技場などである。名声はヘレニズム時代にも続いた。

なお、古代ギリシア世界にはエピダウロスの名を持つ町がほかに二つあった。一つはダルマチアエピダウロス、他の一つはラコニアのエピダウロス・リメラ (el:Επ?δαυρο? Λιμηρ?) である。

紀元前87年、ローマの将軍スッラによって聖域は略奪された。紀元前67年には海賊が略奪を行った。紀元後2世紀頃にはローマ帝国のもとで繁栄を取り戻したが、395年にはゴート人たちによって襲撃を受けた。

キリスト教が導入されると、ギリシアの神々への信仰は衰退し、あるいは禁止され、デルポイの神託も行われなくなった。しかしエピダウロスは「癒しの聖域」として5世紀半ばまでキリスト教徒によってあがめられていた。
近現代ネア・エピダウロスにある第一回国民会議の記念碑

ギリシア独立戦争中の1821年12月から翌年1月にかけて、ネア・エピダウロス(当時の名称はピアダ)において第一回国民会議 (First National Assembly at Epidaurus) が開催された。


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