エナメル質(エナメルしつ、enamel)または琺瑯質(ほうろうしつ)は、歯の歯冠の最表層にある、生体で最も硬い硬組織[1][2][3] である。硬さを表すモース硬度は6 - 7を示す[2]。
このエナメル質と、象牙質、セメント質、歯髄により歯が構成される[4]。通常、目に見える部分がこのエナメル質であり、象牙質に支えられている。象牙質の支持がなければエナメル質は硬くて脆いため容易に割れてしまう[5]。重量比で96%は無機質で残りが水と有機質であり[6]、色は明黄色からネズミ色がかった白色である。エナメル質の下に象牙質がない端の部分では、青みがかって見えることもある。半透明であるので、エナメル質の下にある象牙質や歯科修復材料の色が歯の外見に強く影響を与える。厚さは部位により異なり、多くの場合、切端部や咬合部で最も厚く(2.5mm以上)、歯頸部(セメント・エナメル境(英語版))で最も薄い[2][7]。 現在では「エナメル質」が一般的だが、1940年代までの日本では「琺瑯質(ほうろうしつ)」という用語が一般的だった。「エナメル質」が用いられ始めたのは1950年代からで、特に藤田恒太郎『歯の組織学』(1957)の影響が大きい。「琺瑯質」から「エナメル質」に切り替わった時期は大学ごとに異なる。例えば、鶴見大学歯学部では松井隆弘教授により1981年まで「ほうろう質」が、東京歯科大学では1994年まで「琺瑯質」が使用され、そのあと「エナメル質」に切り替わった[8]。同様に「セメント質」も「白亜質」に変わったが、「象牙質」のみはそのままだった[9]。歯科医の浮谷英邦は東歯大時代の講義において、教授から用語は不適切だが時代の流れなので国家試験で「エナメル質」「セメント質」と出題されても我慢するようにと言われたという[9]。 エナメル質から琺瑯質へ用語が切り替わった時期についてネット上には誤った俗説、例えば「エナメル質は戦時中、敵性語と見なされ琺瑯質と言い換えられた」あるいは「帝銀事件の犯人が琺瑯質という用語を使ったのは真犯人が東京歯科大学の前身の関係者である証拠」など間違った言説が数多く見られるので、注意を要する。 エナメル質の基本構造はエナメル小柱と呼ばれている[5]。エナメル小柱は組織化されたパターンの中に多くの水酸燐灰石の結晶が入っている[1]。断面は、頭を外側に、下を内側においた鍵穴のように見える。 エナメル小柱の中の水酸燐灰石の結晶の配置は非常に複雑となっている。エナメル質を作るエナメル芽細胞とトームス突起
名称の変遷
構造上の部分がエナメル質。
下はセメント質。
エナメル小柱の配置は内部構造よりも理解しやすい。エナメル小柱は歯に沿って列を作り、象牙質に垂直に配置されている[10]。永久歯では、エナメル-セメント境付近のエナメル小柱はわずかに歯根の方に傾く。象牙質の支持を受けないエナメル質は破折しやすいので、歯の保存修復においてエナメル質の走行を理解することは重要である[10][11]。