エド・サリヴァン・ショー
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エド・サリヴァン・ショー
収録が行われた「エド・サリヴァン・シアター
別名トースト・オブ・ザ・タウン(1948年 - 1955年)
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バラエティ

スケッチ・コメディ

司会者エド・サリヴァン
ナレーター

バーン・ベネット(英語版)

アート・ハンネス

ラルフ・ポール

テーマ曲作者レイ・ブロック(英語版)
オープニング"Toast"
国・地域 アメリカ合衆国
言語英語
シーズン数24
製作
エグゼクティブ・プロデューサーエド・サリヴァン
プロデューサー

マリオ・ルイス(英語版)

ボブ・プレヒト

チェスター・フェルドマン(英語版)

ジャック・マクギーハン

撮影体制マルチカメラ
製作

サリヴァン・プロダクションズ

CBSプロダクションズ(英語版)

配給CBSテレビジョン・ディストリビューション(英語版)

放送
放送チャンネルCBS
映像形式

モノクロ(1948年 - 1965年)

カラー(1965年 - 1971年)

音声形式モノラル
放送期間1948年6月20日 - 1971年3月28日
放送分50 - 53分
回数全1068回
公式ウェブサイト
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『エド・サリヴァン・ショー』(英語: The Ed Sullivan Show)は、アメリカCBSで放送されていたバラエティ番組である。エド・サリヴァン(Ed Sullivan, 1901年9月28日 - 1974年10月13日) がホスト役を務めていた。放送期間は1948年6月20日 - 1971年6月6日、当時の放送時間は日曜20時から21時(EST)まで。日本語では「エド・サリバン・ショー」とも称される。
概要
放送開始ルシール・ボールとポーラ・スチュワート(1961年)

アメリカ合衆国におけるテレビ黎明期の1948年6月20日に放送が開始された。番組発足当時の名は『Toast of the Town』(トースト・オブ・ザ・タウン)で、直訳すると「町の人気者」となる。1955年9月に番組は『Ed Sullivan Show』(エド・サリヴァン・ショー)と改称した。
番組内容

番組内容は、出演者との対談と芸の披露であった。出演したゲストは、コメディアンバレエダンサー、曲芸師、クラシック演奏家、オペラポピュラー音楽のシンガー、後にはロックミュージシャンなど、ジャンルや人種を超えて多肢に亘った。
出演者

アメリカを中心に活躍し、それぞれの分野で人気のあった人物を主として取り上げていたため、1956年9月9日エルヴィス・プレスリーが登場して以来、番組にはロック・ミュージシャンも数多く出演した。

また公民権法施行前で人種差別が合法であったにもかかわらず、人種差別を嫌うサリヴァンの意向によりジェームス・ブラウンスプリームスなどのアフリカ系アメリカ人のミュージシャン、日本人などの非白人系外国人のアーティストも多く招かれた。

1960年代に至ってはビーチ・ボーイズジャニス・ジョプリンスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンなど、それまでには考えられなかった方向性のミュージシャンやアーティストも多数出演することとなった。1969年にはマイケル・ジャクソンジャクソン5が出演している。

また、1964年2月9日から3週間連続で出演したビートルズ以降、アメリカ進出を果たしたイギリス出身のロックミュージシャンの出演も増えた。その後もアニマルズローリング・ストーンズ等も出演を果たすことになる。

なおサリヴァンは、老若男女を問わない幅広い視聴者層へ配慮するため、当時のアメリカの典型的保守層の価値観を番組に持ち込んだ。従ってプレスリーの登場時の服装やカメラの位置、ドアーズやローリング・ストーンズの登場時の歌詞の変更など、現代では滑稽と思えるような様々な逸話を提供することになった。
放送終了

ベトナム戦争を経てアメリカ社会全体の価値観が変化しつつあった1960年代後半になると、この様な保守的な番組構成は旧時代化して『エド・サリヴァン・ショー』の視聴率は20位にも届かなくなっていた。

このため、CBSの上層部は1971年6月6日をもって番組を終了した。サリヴァンはこれに激怒し、1973年に『エド・サリヴァン・ショー』25周年記念番組ほかの特番に出演するまでCBSと絶縁した。
逸話
強い影響力エド・サリヴァンとエルヴィス・プレスリーコール・ポーターとサリヴァン(1952年)デイブ・クラーク・ファイブとエド・サリヴァン(1964年)

「この番組を見逃せば日常の中での会話に支障をきたす」と言われるほどに、1950年代から1970年代にかけての文化を強く支えた番組であった。またかつて報道にも従事し、カトリックの信仰を持つ保守派として知られたサリヴァンは人種差別を嫌悪し、人種や国籍、性別を問わず様々な出演者を公平に扱った。
エルヴィス・プレスリー

エルヴィス・プレスリーの出演には、収録寸前まで反対していた。しかし、その真摯な態度を見たサリヴァンはプレスリーを「立派な若者です」と称賛し、実際に再度の出演も実現している(1956年9月9日、10月28日、1957年1月6日の通算3度出演)。また、プレスリーの最初の出演時には82.6%もの視聴率を記録している。3度目の出演時にはプレスリーの腰を振る仕草に苦情がついたために、本番では延々と上半身だけの撮影を要求し、プレスリー自身の顰蹙を買ったという逸話も残っている[1]
ローリング・ストーンズ

ローリング・ストーンズは、ビートルズ出演に遅れること約8か月後に登場した。最初の演奏が終わると、サリヴァンは「もう金輪際、この連中をこのテレビには出しません」と述べたが、視聴者の人気に屈したサリヴァンは彼らをその後5度出演させた。1967年2月には、演奏曲「Let's Spend The Night Together」(邦題「夜をぶっとばせ」)の「The Night」が性行為を連想させるため、サリヴァンは歌詞を「Some Time」に変えるよう要求してバンドにおける口論の原因を作った。
ドアーズ

1967年にドアーズが出演したとき、「Light My Fire」(邦題「ハートに火をつけて」)の歌詞の一節 "Girl, we couldn't get much higher" が薬物を暗示していて不穏当であるとの理由から、サリヴァンは "Girl, we couldn't get much better" と変更するよう要求したが、ジム・モリソンが生放送中にサリヴァンたちを出し抜いて本来の歌詞を歌ったため、サリヴァンたちは激怒して二度とドアーズを出演させなかった。
ボブ・ディラン

1963年5月12日に出演予定であったボブ・ディランは、同番組で初めての全米中継を控えていた。放送当日の午後に予行が行われたが、予定していた「ジョン・バーチ・ソサエティ・ブルース」は「赤狩り」に関連づけられた曲(反共団体「ジョン・バーチ・ソサエティ」を揶揄した曲)であったため、CBSは曲の変更を要求した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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