エドワード・G・ロビンソン
Edward G. Robinson
1948年
本名エマニュエル・ゴールデンバーグ(Emanuel Goldenberg)
別名義エドワード・ゴールデンバーグ・ロビンソン
生年月日 (1893-12-12) 1893年12月12日
没年月日 (1973-01-26) 1973年1月26日(79歳没)
出生地 ルーマニア王国 ブカレスト
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス
民族ユダヤ人
職業俳優
ジャンル映画
活動期間1915年 - 1973年
主な作品
『犯罪王リコ』『飾窓の女』
『キー・ラーゴ』『ソイレント・グリーン』
受賞
アカデミー賞
名誉賞
1972年
カンヌ国際映画祭
男優賞
1949年『他人の家』
全米映画俳優組合賞
生涯功労賞
1969年
その他の賞
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エドワード・G・ロビンソン(Edward G. Robinson, 1893年12月12日 - 1973年1月26日)は、アメリカ合衆国の俳優。ハリウッドで性格俳優として活躍、50年の俳優生活で101本の映画に出演した。 ルーマニア・ブカレストで、ユダヤ系の両親の間に生まれた[1]。 1903年に家族と共にニューヨークへ移住。ニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、American Academy of Dramatic Arts
略歴
中年近くなった1930年、その後のギャング映画流行のはしりとなったマーヴィン・ルロイのギャング映画『犯罪王リコ』に主演、強烈な印象を残し出世作となる。以後、ハリウッドのギャング映画・フィルム・ノワールには欠かせない存在となった。
短躯にだみ声、ふてぶてしい悪役向けの人相で、ギャング役としての知名度は高かった。もっとも本人は高度なインテリジェンスの持ち主であり、8か国語を操るほどの才能があったという。当たり役のギャングのみならず、正義漢的な役柄や、『俺は善人だ』の小市民的主人公役から『偉人エーリッヒ博士』での特効薬開発に取り組む化学者役まで演技の幅は広く、またシリアスもコメディもこなす多才さで、1930年代から1940年代にかけてハリウッドで縦横に活躍した。
主演作にも著名作品が多いが、ビリー・ワイルダーの『深夜の告白』の敏腕調査員役やジョン・ヒューストンの『キー・ラーゴ』での極悪ギャング役といった助演作での演技も評価が高い。
しかし、1940年代後期以降の赤狩りの時期に、共産主義者と疑われてブラックリストに載せられてしまい[2]、映画から離れざるを得なくなってしまう。私生活では絵画コレクターでもあったが、この時期には、当時の妻との離婚による慰謝料捻出のため、長年収集してきたコレクションを300万ドル余り(当時)で手放している。その間はブロードウェイに出演し、1950年代後半から再び映画に出始めるようになった。
1961年(昭和36年)に来日している。
晩年の出演としては、主演のスティーブ・マックイーンを向こうに張る老ギャンブラーとして堂々たる貫禄を見せた『シンシナティ・キッド』(1965年)が挙げられる。
1973年1月26日、79歳で死去。『ソイレント・グリーン』が遺作となった。現役時代にはその演技力への評価にもかかわらず、アカデミー賞受賞に一度も至らなかったが、死の約2ヶ月後に開催された第45回アカデミー賞で名誉賞が授与された。 公開年邦題
主な出演作品
原題役名備考
1923ブライト・ショール
The Bright Shawlドミンゴ・エスコバル
1929壁の穴
The Hole in the Wallフォックス
1930法の外
Outside the Lawコブラ・コリンズ
1931犯罪王リコ
Little Caesar
夜の大統領
Smart Moneyニック
特輯社会面
Five Star Finalランダル
1932天晴れウォング
The Hatchet Manウォング
二秒間
Two Secondsジョン・アレン
虎鮫
Tiger Sharkマイク
1933笑ふ巨人
The Little Giantバグズ
1935俺は善人だ