この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "エドワード・ヤン"
エドワード・ヤン
Edward Yang
本名楊徳昌
生年月日 (1947-11-06) 1947年11月6日
没年月日 (2007-06-29) 2007年6月29日(59歳没)
出生地 中華民国 上海市
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
国籍 中華民国
職業映画監督、脚本家
ジャンル映画
配偶者蔡琴(1985年 - 1995年)
彭鎧立(1995年 - 2007年)
主な作品
『?嶺街少年殺人事件』(1991年)
『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994年)
『ヤンヤン 夏の想い出』(2000年)
受賞
カンヌ国際映画祭
監督賞
2000年『ヤンヤン 夏の想い出』
東京国際映画祭
審査員特別賞
1991年『?嶺街少年殺人事件』
国際映画批評家連盟賞
1991年『?嶺街少年殺人事件』
ニューヨーク映画批評家協会賞
外国語映画賞
2000年『ヤンヤン 夏の想い出』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
外国語映画賞
2000年『ヤンヤン 夏の想い出』
その他の賞
金馬奨
作品賞
1986年『恐怖分子』
1991年『?嶺街少年殺人事件』
脚本賞
1994年 『エドワード・ヤンの恋愛時代』
テンプレートを表示
楊徳昌
プロフィール
出生:1947年11月6日
死去:2007年6月29日
出身地: 中華民国 上海市
職業:映画監督
各種表記
繁体字:楊コ昌
簡体字:?コ昌
?音:Yang Dech?ng
ラテン字:Edward Yang
和名表記:よう とくしょう
発音転記:ヤン ドゥーチャン
テンプレートを表示
エドワード・ヤン(Edward Yang / 楊コ昌、1947年11月6日 - 2007年6月29日)は、台湾の映画監督・脚本家。 1947年、上海に生まれ、2歳のときに家族で台北に移住した外省人。ロックと手塚治虫に影響されて育った。台湾の国立交通大学で電気工学を学び、次いでフロリダ大学で計算機工学の修士号を所得したが、やがて映画製作に興味を持ち南カリフォルニア大学に入学。しかしすぐに中退し、しばらくアメリカで電気関係の仕事についていた。 1981年に台湾に帰国後、日本を舞台とした余為政
生涯
1983年、初長編映画『海辺の一日』でヒューストン映画祭グランプリを受賞。以後、1985年に『台北ストーリー』、1986年に『恐怖分子』、1991年に『?嶺街少年殺人事件』、1994年に『エドワード・ヤンの恋愛時代』、1996年に『カップルズ』を監督。侯孝賢とともに台湾ニューシネマを代表する一人となった。
2000年の『ヤンヤン 夏の想い出』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。同作完成のころから癌を患い、その後7年ほど闘病生活を続けていたが、2007年6月29日、結腸癌による合併症のためアメリカ・カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去。59歳だった。
闘病中もジャッキー・チェン製作総指揮で初のアニメ映画『追風』に着手していたが、数分間の断片を残したのみに終わった。1990年代半ばには『如果』『成長季節』など舞台劇も演出した。
主な監督作品
光陰的故事 《光陰的故事》In Our Time(1982年)109分 第2話「指望」(新人若手監督4人の演出による4話構成のオムニバス作品。監督:タオ・ドゥーツェン、エドワード・ヤン、クー・イーチェン、チャン・イー)
海辺の一日 《海灘的一天》That Day, on the Beach(1983年)167分
台北ストーリー 《青梅竹馬》 Taipei Story(1985年)110分
恐怖分子 《恐怖?子》 The Terrorizers(1986年)
?嶺街少年殺人事件 《?嶺街少年殺人事件》 A Brighter Summer Day(1991年)
エドワード・ヤンの恋愛時代 《獨立時代》 A Confucian Confusion(1994年)
カップルズ 《麻將》 Mahjong(1996年)
ヤンヤン 夏の想い出 《一一》 Yi Yi(2000年)
監督以外の作品
冬冬の夏休み(1984年)出演・音楽
関連書籍
楊徳昌電影読本(エドワード・ヤン フィルムブック)―映画のモダニティは、ついに「恋愛時代」に突入する!(シネカノン、1995年、フィルムアート社)ISBN 4845995468