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エドワード・ノートン
Edward Norton
2012年撮影
本名Edward Harrison Norton
生年月日 (1969-08-18) 1969年8月18日(54歳)
出生地 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン
国籍 アメリカ合衆国
身長183 cm
活動期間1993年 -
配偶者ショーナ・ロバートソン(2012年 - )
著名な家族ジェームズ・ラウス(祖父)
主な作品
『真実の行方』
『ラリー・フリント』
『ラウンダーズ』
『アメリカン・ヒストリーX』
『ファイト・クラブ』
『スコア』
『レッド・ドラゴン』
『25時』
『ミニミニ大作戦』
『幻影師アイゼンハイム』
『インクレディブル・ハルク』
『ボーン・レガシー』
『ムーンライズ・キングダム』
『グランド・ブダペスト・ホテル』
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
『犬ヶ島』
『ナイブズ・アウト: グラス・オニオン』
受賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞
助演男優賞
1996年『真実の行方』『ラリー・フリント』『世界中がアイ・ラヴ・ユー』
放送映画批評家協会賞
アンサンブル演技賞
2014年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
2022年『ナイブズ・アウト: グラス・オニオン』
ゴールデングローブ賞
助演男優賞
1996年『真実の行方』
全米映画俳優組合賞
キャスト賞
2014年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
その他の賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
助演男優賞
1996年『真実の行方』『ラリー・フリント』『世界中がアイ・ラヴ・ユー』
2014年『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』サテライト賞
主演男優賞
1998年『アメリカン・ヒストリーX』
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エドワード・ハリソン・ノートン(Edward Harrison Norton, 1969年8月18日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画監督。 マサチューセッツ州ボストンで生まれ、メリーランド州コロンビアで育つ。父親のエドワード・モーア・ノートンJr.は環境問題に取り組む弁護士でカーター政権時に連邦検察官を務め、母親のリディア・ロビンソン[1]は英語教師で1997年に脳腫瘍で死去する。2人の弟がいる。 イェール大学で天文学と歴史と日本語を学ぶも、卒業後に俳優をこころざしてニューヨークへ出るほか、日本では祖父ジェームズ・ラウスの都市計画家としての仕事を手伝うため、大阪に約4ヶ月滞在して海遊館の巨大水槽設置に携わり、英会話学校NOVAのテキスト[2]に掲載される。現在も日本語会話を嗜み、『インクレディブル・ハルク』のジャパンプレミアで来日した際には日本語で「日本滞在は4ヶ月くらい」と答え、おすぎの「頭がスマートなのね」との問いかけに「練習したんだよ」と答えている[3]。 TV番組『ファインディング・ユア・ルーツ』の調査で、ジョン・ロルフ・ポカホンタス夫妻が12代前の祖先であることが判明した。 数年間、ウエイターなど様々な仕事に就きながら、1993年からシグニチャー・シアター・カンパニーのメンバーとして多数の舞台に出演。1996年に2000人以上のオーディションから『真実の行方』のアーロン役に抜擢されて映画デビューし、多重人格障害の疑いがある殺人容疑者役を演じてアカデミー助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞 助演男優賞を受賞。1998年に『アメリカンヒストリーX』でネオナチに走る若者を演じてアカデミー主演男優賞にノミネート。2014年公開の『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』で第72回ゴールデングローブ賞と第87回アカデミー賞の助演男優賞にノミネートされる。 2000年に公開された『僕たちのアナ・バナナ』で初めて監督を務めた。その後、小説『マザーレス・ブルックリン』を原作とした2019年公開の映画『マザーレス・ブルックリン』でも監督を務めた。
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生い立ち
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