エドガー・F・コッド
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Edgar Frank Codd
エドガー・フランク・コッド
生誕 (1923-08-23)
1923年8月23日
イギリス イングランド ポートランド島
死没 (2003-04-18) 2003年4月18日(79歳没)
アメリカ合衆国 フロリダ州 ウィリアムズ・アイランド
研究分野計算機科学
研究機関IBM
オックスフォード大学
ミシガン大学
出身校オックスフォード大学エクセター・カレッジ
ミシガン大学
論文 ⇒Propagation, Computation, and Construction in Two-dimensional cellular spaces (1965)
博士課程
指導教員ジョン・H・ホランド
主な業績関係モデル
OLAP
主な受賞歴チューリング賞(1981)
プロジェクト:人物伝
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エドガー・フランク・コッド(Edgar Frank "Ted" Codd, 1923年8月23日 - 2003年4月18日)は、イングランド生まれの計算機科学者。関係データベースの理論的基盤であるデータベース管理の関係モデルを発明した。他にも計算機科学に数々の貢献をしているが、関係モデルはデータ管理の一般理論として大きな影響を与え、彼にとっては人生最大の業績と言われている。
生涯

イングランドドーセット州ポートランド島で生まれた。オックスフォード大学エクセター・カレッジで数学化学を専攻する。第二次世界大戦ではイギリス空軍パイロットとして参戦した。1948年アメリカ合衆国ニューヨーク州に移住し、IBMプログラマとして就職した。1953年上院議員ジョセフ・マッカーシーの怒りを買い、カナダオタワに移住する。10年後アメリカ合衆国に戻り、アナーバーミシガン大学計算機科学博士号を取得した。テネシー大学数学科の講師を務めた後、サンノゼ に移りIBMのアルマーデン研究所に勤務し、1980年代までそこで働き続けた[1][2]。1990年代になると病気がちとなり、徐々に仕事から引退していった[3]

1981年、コッドはチューリング賞を受賞[1]。1994年には Association for Computing Machinery (ACM) のフェローに選ばれた[4]

2003年4月18日フロリダ州ウィリアムズ・アイランドの自宅にて心不全で亡くなった[5]。79歳。
業績

コッドはミシガン大学アナーバー校で1965年に博士号を取得した[3]。博士論文のテーマはセル・オートマトン自己複製についてであり、フォン・ノイマンの成果を発展させ、8状態で十分自己複製可能なセル・オートマトンを示した[6]コッドのセル・オートマトンによる自己複製コンピュータが実装されたのは2009年のことである[7]

1960年代から1970年代、コッドはデータ配置に関する理論を構築し、1970年 A Relational Model of Data for Large Shared Data Banks (大規模共有データバンクのデータ関係モデル)という論文を発表した(IBM内ではその1年前に公表している)[8]。しかし、IBMはライバルがそれを実装し始めるまで彼の提案を実行に移そうとせず、コッドは失望した。

当初、IBMはIMS/DBの収益を守るため、関係モデルを実装することを拒んだ。コッドはIBMの顧客に自身のモデルを実装した場合の可能性を提示し、顧客からIBMに圧力をかけさせた。そこでIBMは関係モデルの実装を開発する System R プロジェクトを Future Systems プロジェクトに含める形で立ち上げたが、その開発チームとコッドは分離され、しかもコッドの理論に精通した者はチーム内にいなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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