エドゥアール・バラデュール
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フランス政治家エドゥアール・バラデュールEdouard Balladur

生年月日 (1929-05-02) 1929年5月2日(95歳)
出生地 トルコ イズミル
出身校リセ・ティエール
エクス=アン=プロヴァンス大学法学部
パリ政治学院
フランス国立行政学院
所属政党共和国連合 (RPR)
国民運動連合 (UMP)(2002 - )
配偶者マリー・ジョセフィー・ドラクール
子女4人
フランス共和国
第14代首相
在任期間1993年3月29日 - 1995年5月10日
大統領フランソワ・ミッテラン
フランス共和国
第13代経済・財政大臣
内閣第2次ジャック・シラク内閣
在任期間1986年3月20日 - 1988年5月12日
大統領フランソワ・ミッテラン
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エドアール・バラデュール(エドゥアール・バラデュール、フランス語:Edouard Balladur、1929年5月2日 - )は、フランス政治家フランソワ・ミッテラン政権(第2次コアビタシオン)で第14代フランス首相を務めた。
出生から初期の政治活動

1929年5月2日にトルコイズミルで、アルメニア系の家庭に誕生する(バラデュール家の先祖は、アルメニア人が大半を占めていた現在のアゼルバイジャンのナヒチェヴァンから、その領土を狙うペルシャ帝国による迫害を逃れるため、イズミルに移住した)。1935年に家族はマルセイユに移る。少年期はジャン=バティスト・ド・ラ・サール司教学院に入れられ、マルセイユのリセ・ティエールを経て、エクス=アン=プロヴァンス大学法学部 (faculte de droit d'Aix-en-Provence) で法学の学士号を取得した。その後、1950年頃パリに出てパリ政治学院 (institut d'etudes politiques de Paris) に通い、公共政策公共サービス)でディプロムを取得、続いて1955-1957年の間、フランス国立行政学院 (ENA, Ecole nationale d'administration) とエリートコースを歩んだ[1][2]

1957年のENA卒業と同じ年、マリー・ジョセフィー・ドラクールと結婚し、4人の息子に恵まれる。

1964年ジョルジュ・ポンピドゥー首相の顧問となる。1969年、ポンピドゥーが大統領に当選すると、バラデュールは大統領府官房長に任命された。ポンピドゥーの死後、一時期政界から離れていたが、1980年代ジャック・シラクを中心に新たなドゴール派の政党共和国連合が結成されると、これに参加する。右派・保守政治家として活動する一方で、フランソワ・ミッテラン社会党政権が誕生すると、コアビタシオンについても早くから言及し、これを支持していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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