エドゥアルト・メーリケ
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エドゥアルト・フリードリヒ・メーリケ

誕生1804年9月8日
ルートヴィヒスブルク
死没 (1875-06-04) 1875年6月4日(70歳没)
シュトゥットガルト
職業詩人
国籍 ドイツ
文学活動ロマン派
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エドゥアルト・フリードリヒ・メーリケ(Eduard Friedrich Morike, 1804年9月8日 ルートヴィヒスブルク - 1875年6月4日 シュトゥットガルト)はドイツロマン主義詩人
生涯

ルートヴィヒスブルク生まれ。テュービンゲン大学神学を学んだ後、聖職者となり、ルーテル教会牧師となった。1834年ヴァインスベルク近郊のクレーファーズルツバッハの牧師に就任したが、その後、健康上の理由で辞職した。1851年、シュトゥットガルトの女学校カタリーネンシュティフトでドイツ文学の教授になり、1866年まで勤めた。その後もシュトゥットガルトに住み、その地で亡くなった。
作品

メーリケは、ルートヴィヒ・ウーラント(Ludwig Uhland)を中心とした通称シュヴァーベン派のメンバーだった。メーリケの詩『Gedichte(詩)』(1838年。第22版1905年)はほとんどが抒情詩でユーモラスなものが多い。しかし表現はシンプルで自然な言葉を使っている。『Lieder(歌集)』は形式において伝統的で、ゲーテのそれと比較された。さらにメーリケはいささかファンタスティックな『Idylle vom Bodensee, oder Fischer Martin und die Glockendiebe(ボーデン湖の牧歌、またはフィッシャー・マルティンと鐘泥棒)』(1846年[1]。第2版1856年)を書き、ギリシアローマの讃歌(Hymne)、頌歌エレジーアイディル(Idylle; 牧歌)の選集『Klassische Blumenlese(古典詞華集)』(1840年)、さらに、今なお人気の高い教養小説『画家ノルテン(Maler Nolten)』(1832年。第6版1901年)など、いくつかの小説・物語も書いた。代表作『画家ノルテン』は「一人の画家の運命を、恋愛感情の葛藤を通して描いたものである。・・・精緻な文章による心理描写に、独自のものがある」[2]。他の作品では、芸術と相容れない世界で芸術家が抱える問題をユーモラスに描いた中編小説『旅の日のモーツァルトプラークへの旅路のモーツァルト、Mozart auf der Reise nach Prag)』(1856年)がある。メーリケの『Gesammelte Schriften(全集)』は最初4巻で出版された。「時代離れしている感じ」のこの詩人は、「時代に鈍感だったというより、その不安と動揺の中にあって自分の詩世界をまもり、言葉のなかに持続するものを建てたところに、彼の面目がある」[3]。メーリケの詩には、フーゴ・ヴォルフをはじめ、ロベルト・シューマンヨハネス・ブラームスマックス・ブルッフアルバン・ベルクらが曲を付している。
日本語訳

『メーリケ詩抄』江原綱一訳(悦志堂 1966)

『メーリケ詩集』森孝明訳(
三修社、1993)

『旅の日のモーツァルト』

『プラークへの旅路のモーツァルト 独逸文学叢書』石川錬次訳(岩波書店、1926)
のち「旅の日のモーツァルト」旧岩波文庫、1948

浜川祥枝訳 世界文学全集・新潮社、1964

猿田悳白水社、1969

宮下健三訳 岩波文庫、1974

石倉小三郎訳 堀書店、1949


『画家ノルテン』手塚富雄訳(筑摩書房、1948)。のち『世界文学大系79 メーリケ・ケラー』

『美はしき別離』川崎芳隆訳(蒼樹社 1949)

『宝の小筥』小野浩訳(羽田書店 1950)。のち『宝の小箱』角川文庫

「シュツットガルトの皺くちゃ親爺」熊井一郎訳。『世界文学大系』筑摩書房、1964

「シュトゥットガルトのしわくちゃこびと」小沢俊夫

「イェツェルテの手」鈴木潔訳、各『ドイツ・ロマン派全集 7 ハウフ メーリケ』(国書刊行会 1984)


「小男フッエルメンライン」山崎省吾訳(独逸童話文学選集:増進堂

「手塚富雄全訳詩集 2」(角川書店)、他にヘルダーリン、オーデ、エレギー、アイヒェンドルフ、レーナウ。

参考文献

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