エトルリア文字
ペルージャの石柱(紀元前3-2世紀)
類型:アルファベット
言語:エトルリア語
時期:紀元前8世紀 - 紀元前1世紀
親の文字体系:原カナン文字
フェニキア文字
ギリシア文字(クマエ文字)
エトルリア文字
子の文字体系:ラテン文字、(ルーン文字)
ISO 15924 コード:.mw-parser-output .monospaced{font-family:monospace,monospace}Ital
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音素文字の歴史
青銅器時代中期-原シナイ
前19-15世紀
ウガリット 前15世紀
原カナン 前14世紀
フェニキア 前11世紀
古ヘブライ 前10世紀
サマリア 前6世紀
アラム 前9世紀
ブラーフミー 前6世紀
(インド系)
チベット 7世紀
クメール 7世紀
ジャワ 9世紀
他多数
ヘブライ 前3世紀
シリア 前2世紀
ナバテア 前2世紀
アラビア 4世紀
ペルシア 7世紀
ウルドゥ 11世紀
ターナ 18世紀
パフラヴィ 前2世紀
アヴェスタ 4世紀
ソグド
突厥 5世紀
ウイグル 8世紀
(契丹小字 10世紀)
(女真小字 12世紀)
モンゴル 13世紀
満洲 16世紀
シベ 20世紀
トド 17世紀
ワキンダラー 20世紀
ギリシア 前9世紀
エトルリア
エトルリア文字(エトルリアもじ)とは、古代イタリアのエトルリア語を表記するための文字である。紀元前7世紀から紀元前1世紀にかけて、13,000ほどのエトルリア文字で書かれた資料が残っており、これはイタリアにおいてラテン語につぐ量である[1]。
通常は右から左に書かれたが、初期のものには左から右に書いたり、牛耕式に書いたものも見られる。後期にはラテン文字の影響によって左から右に書かれることもある[1]。
当時の古代イタリア地域諸言語[2]の表記体系は多くエトルリア文字から派生した。これらの文字を総称して古イタリア文字と言う。
概要マルシリアーナのアルファベット表
エトルリア文字の起源はエウボイア島で使われていた西方ギリシア文字である[1]。この文字は、現在よく知られている東方系のイオニア式アルファベットと違って?(ワウ)、?(サン)、?(コッパ)があった。Ηは/h/、Χは/ks/、Ψは/kh/、Ζは/ts/を表した[1][3]。全部で26文字であった。
エウボイアのギリシア人はピテクサエ(イスキア島)とクーマエに植民し、ここから西方ギリシア文字がそのままエトルリアに伝わった[1]。マルシリアーナ(英語版)出土の紀元前700年ごろのアルファベット表には、西方ギリシア文字に見られる26文字すべてが見えている。
ただし、エトルリア語では、Γ(𐌂 の字形を用いた)は無声の/k/を表すために使用され、? は有声子音 /v/ を表した。
また、エトルリア語には有声破裂音がなかったために、アルファベット表中で実際にはΒとΔは使用されず、また母音/o/もなかったためにΟも使用されなかった[1]。ほかにΞも使われなかった。紀元前250年ごろになるとΚ、?、Χも使われなくなり、26文字中の19文字のみが実際に使われた[4]。
逆にギリシア語になくエトルリア語にある音に/f/があり、初期においては?Η(あるいはΗ?)と書かれた。その後、エトルリア北方において紀元前600年ごろに専用の文字()が作られ、紀元前500年ごろにエトルリア南方でも使われるようになった。これは西方ギリシア文字に対して新たに追加された唯一の文字だった[4]。
/k/の音を表す文字に、南方では、後続する母音にしたがって、/a/の前でΚ、/u/の前で?、/e i/の前でΓの3種類を使い分けた(初期のギリシアでも同様の使い分けをしている)。しかし紀元前6世紀にはΚや?は使われなくなった。北方では主にΚが使われたが、紀元前4世紀にはすべての場合にΓが使われるようになった[4]。
歯擦音には/s/と/?/があったが、南方では前者にΣ(地域によってはΧ)を、後者に?を使用した。これに対して北方では逆に前者に?、後者にΣを使用した[4]。 エトルリアでは「I」で1を、「Χ」で10を、「」または「」で100を表した。また「Λ」のような字()で5を、「」で50を表した。このシステムはローマ数字と同様であり、ローマ数字はエトルリア数字から派生した[4]。
数字
アルファベット