エティエンヌ=フランソワ=ルイ=オノレ・ル・トゥルヌール(フランス語: Etienne-Francois-Louis-Honore Le Tourneur、1751年3月15日 - 1817年10月4日)は、フランス革命期の政治家。総裁政府の総裁(在任:1795年11月1日 - 1797年5月20日)を務めた。
生涯エティエンヌ=フランソワ・ル・トゥルヌール、ヤン・ダルゲン(英語版)作。
ル・トゥルヌールは1751年、ノルマンディーのグランヴィルで生まれる。軍人であったが、1791年以降立法議会の議員も務め、その後継の国民公会でも続投した。国民公会では戦争委員会(フランス語版)の委員になり、アメリカ人連隊の設立などに関わった。1793年に行われた元フランス王ルイ16世の処遇を決める投票では死刑に賛成した[1]。
その傍ら、ル・トゥルヌールは将校としてラザール・カルノーとともに働き、1793年から1795年までトゥーロンで軍役に就き、その後フランスの地中海艦隊を再編した。総裁政府が成立したとき、総裁に就任したが、1797年に退任した。後にフリュクティドール18日のクーデターが起こった時、カルノーとの関係が仇となり、ル・トゥルヌールは軍務から手を引くことを余儀なくされた。ブリュメール18日のクーデターを経て成立した統領政府では第一統領のナポレオン・ボナパルトによりロワール=アトランティック県知事に任命された。フランス第一帝政が成立すると、代わりにフランス会計検査院(英語版)院長に任命された[1]。
フランス復古王政では王殺しの罪(ルイ16世の処刑に賛成した)により1816年にフランスから追放され、ネーデルラント連合王国南部(のちのベルギー)へ移ったが、翌年ブリュッセル近くのラーケンで死去した[1]。
脚注^ a b c ≪ Etienne, Louis, Francois, Honore Letourneur ≫, dans Robert et Cougny, Dictionnaire des parlementaires francais, 1889 [detail de l’edition] [ ⇒texte sur Sycomore]
表
話
編
歴
フランス革命
年表
アンシャン・レジーム
原因(英語版)
革命
立憲王政
共和政
総裁政府
統領政府
主要事件 1788年
屋根瓦の日(1788年6月7日)
ヴィジーユ会議
1789年
『第三身分とは何か?』刊行(1789年1月)
レヴェイヨン事件(1789年4月28日)
全国三部会の召集(英語版)(1789年5月5日)
国民議会(1789年6月17日?7月9日)
球戯場の誓い(1789年6月20日)
憲法制定国民議会(1789年7月9日?1791年9月30日)
バスティーユ襲撃(1789年7月14日)
大恐怖(1789年7月20日?8月5日)
人権宣言(1789年8月27日)
ヴェルサイユ行進(1789年10月5日)
1790年
高等法院の廃止(1790年2月?7月)
貴族階級の廃止(英語版)(1790年6月19日)
聖職者民事基本法(1790年7月12日)
1791年
ヴァレンヌ逃亡事件(1791年6月20日?21日)