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エッセイ漫画(エッセイまんが)とは、文学における随筆(エッセイ)になぞらえられるところから名づけられた。内容的には、実録・知識・話題を作者の感想と共に描いているものを指して呼んでいることが多い。
純然たるエッセイ(随筆)としては、内容でなく形式こそが問題であり、作品全体の形式が、ストーリー劇として描くより、読者への語りかけとして語り手の作者が現れる、のが基本的特徴である。だいたい、作者が読者に語る感想・思索などが展開するのがエッセイ・随筆の展開である。
なので本来は、自伝・過去の実録というだけでは、または語られる話の中の登場人物として作者がいるだけでは、エッセイにはならないし、また、作品内に解説文がありその解説者としての作者があってもエッセイである理由にはならない。 漫画作者の身の回りで起きた出来事やその感想をつづった一種の実録漫画が多く、これらはコミックエッセイとも称される。 メディアファクトリー(現・KADOKAWA)の「コミックエッセイ劇場」では「フツーの漫画と違う『作者の体験をベースにしたコミック』と言えばいいでしょうか?」と定義している[1]。キャラクターや演出よりも読みやすさとテーマ性を重視することから、簡素で砕けた絵柄で描かれる傾向が強い。 知識解説まんがも形式が似ていてエッセイ漫画に含めたりする。 また、作品の内容は基本的にノンフィクションでありつつ、エッセイ漫画の体裁を用いたフィクションである作品(例:野原広子『離婚してもいいですか?』)や、基本はノンフィクションだが創作を織り交ぜて虚実を曖昧にして描かれる作品(例:桜玉吉『漫玉日記シリーズ』、みずしな孝之『いい電子』)も少なくない。 形式として、エッセイ・随筆的な漫画の描き方の始まりとしては、もともと少女漫画は少女小説と同じ雑誌に載っていたこともあり、吹き出しの外に文が書かれることがあった。それは心理描写の面が強かった。石ノ森章太郎の『江美子ストーリー
概要
古くから漫画家は近況や実体験を綴ったおまけ漫画を単行本に描き下ろすことがあったが、1980年代からそういった漫画が独立した作品として成立しはじめた。漫画研究者の竹内美帆は、少女漫画雑誌『りぼん』に1986年から連載されたさくらももこ『ちびまる子ちゃん』が、シンプルで単純化されたコマ割りと描線により、エッセイ漫画を少女読者の枠を超えた広い層へ浸透させたと指摘する[4]。またこの作品はアニメ化されて大評判となり、ナレーション視点+日常ストーリー=明るさをもってギャグ化した作品、という形を一般の常識に加えたといえる。南信長は、80年代後半に登場した絵日記風の漫画(例:赤星たみこ『コロッケ通信』、まついなつき『みりん星通信』、もん『ザ・カリフラワーズトーク』)をエッセイ漫画の先駆けとみなしており、エッセイとギャグ漫画を融合させたという点ではとり・みき『愛のさかあがり』(1985年)を嚆矢としている[5]。
1990年代前半に、主に育児雑誌に連載された育児コミック(例:田島みるく『あたし天使あなた悪魔』、青沼貴子『ママはぽよぽよザウルスがお好き』、石坂啓『赤ちゃんが来た』)からジャンルとして定着[6]。また、大田垣晴子がミニコミ誌「話の特集」にてイラストと文章を組み合わせた「イラスト・エッセイ」を発表して日常観察漫画を切り開き、西原理恵子のルポ漫画(『恨ミシュラン』『鳥頭紀行』など)が無頼派という新機軸を切り開く。
2000年代以降、メディアファクトリー(現・KADOKAWA)の雑誌『ダ・ヴィンチ』が前述の大田垣などを起用して「コミックエッセイ」という呼称を浸透させる。その中でも小栗左多里『ダーリンは外国人』(2002年)は国際結婚という特殊な体験と日常を描いて大ヒットし、「コミックエッセイ」の作風の基盤となった。その後はウェブ上で発表していた漫画から出版化されるケースなども増えた。最近では、『ダ・ヴィンチ』との連携で開催する『コミックエッセイプチ大賞』など、エッセイ漫画に対象を限定した漫画賞も現れている。 漫画家の自伝・回想録的な作品。
代表的な作品
自伝漫画
サザエさんうちあけ話(長谷川町子)
まんが道(藤子不二雄?)
コミック昭和史(水木しげる)
おれは見た
はだしのゲン(中沢啓治)[7]
劇画漂流(辰巳ヨシヒロ)
ちびまる子ちゃん (さくらももこ)[8]
失踪日記(吾妻ひでお)
地を這う魚(吾妻ひでお)
僕の小規模な失敗(福満しげゆき)
僕の小規模な生活(福満しげゆき)
まんがかぞく(大島永遠)
ど根性ガエルの娘(大月悠祐子)