エッジシティ(英語: edge city)は、大都市の郊外に建設された、オフィスや商業施設など独立した都市機能を有する都市。周縁都市(しゅうえんとし)とも言う[1]。ワシントン・ポストの記者ジョエル・ガロー(Joel Garreau)が1991年に発表した著書『エッジシティ[2]』において命名した[3]。
公的な政策や計画の下で造られたのではなく、民間が造り出したものであり、自己組織化によって生成した都市と言える[4]。また、エッジシティは「庭付き戸建て住宅を持つ」というアメリカン・ドリームの具現化のために人々が都市から郊外へ向かった結果とも言うことができる[5]。
概要ベルビュー (ワシントン州)(シアトル郊外)
1991年、ガローはアメリカ合衆国の大都市郊外の住宅地が巨大化して成立した新都市に注目し、これをエッジシティと名付けた[3]。エッジシティはフリーウェイなどの大都市郊外の環状道路沿いに立地し、オフィス・駐車場・緑地・娯楽施設が完備されている[6][7]。ガローは、以下の5つの条件を満たした都市をエッジシティと定義した[8]。
500万平方フィート(470,000m2)以上のオフィススペースを有する
60万平方フィート(56,000m2)以上の小売スペースを有する
ベッド数を越える雇用を有する(=昼間人口が夜間人口を上回る)
住民が「ここにはすべてがある」と認識している
30年前には都市ではなかった
街の中心に大型ショッピングセンターがあり、低密度の住宅地とははっきりと分かたれている[3]。街は広く、自動車の利用を前提としている[3]。ガローによればエッジシティはアメリカ国内に200以上存在し[1]、ワシントンD.C.、アトランタ、ロサンゼルスなどの各地の都市郊外に見られる[7]。エッジシティは中産階級に人気がある[7]。
一方で、大都市の中心市街地は建物の老朽化や治安の悪さを抱え、良好な環境を求めて郊外への移転が進んだ結果、エッジシティの持つ都市機能が中心街を超越し、郊外から都心へ、という通勤スタイルが都心から郊外へと逆転し[6]、1990年代の初頭には北米においてエッジシティが約200ヶ所を数え、北米に存在するオフィスの約2/3が立地している[9]。更にエッジシティ間の移動も活発化している[6]。
佐藤(2016)は、オフィスの郊外移転によって、従業者は都心への通勤頻度が大幅に減り、日常生活がエッジシティ内で完結することとなり、職住近接が実現した事を指摘し、「生活の場」として捉えられてきた郊外のすがたを捉えなおす必要を唱えている[10]。 アメリカの経済学者ポール・クルーグマンはエッジシティの分析を行い、エッジシティ・モデルを作成した[4]。このモデルでは、企業の相互関係[注 1]を立地の最大要因とし、密接に関係しながら中心市街地から郊外へ分散し、郊外にできた複数の新都市(エッジシティ)が中心市街地から企業を吸収、成長すると説明する[4]。エッジシティの成立初期は離れた地域から企業を吸収し、成長するとエッジシティ間で企業を奪い合うようになる[11]。 ガローは著書『エッジシティ』において第二次世界大戦後の郊外化の過程を3期に分け、第3期がエッジシティの形成期であるとし[8]、形成要因は企業の移転であるとしている[9]。第1期は大戦終結直後の「郊外化」の時期であり、帰還兵を中心に郊外に居を構える動きが見られた[8]。
エッジシティ・モデル
形成過程ホワイト・プレインズ (ニューヨーク州)