エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道(エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドンてつどう、英語:Edgware, Highgate and London Railway)はロンドン北部(英語版)にかつて存在した鉄道会社である。1930年代にはロンドン地下鉄ノーザン線の大規模な路線拡大策の中核となっていたが、第二次世界大戦により計画が変更され、一部がノーザン線に編入されたにとどまっている。ノーザン線に編入されなかった区間の旅客営業は1950年代までに取りやめられ、後に路線も撤去されている。 エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道は1862年6月3日に議会を通過した個別的法律案
創立
開業当初、エッジウェアからの列車はフィンズベリー・パーク経由キングス・クロス行をはじめ、スノー・ヒル・トンネル(英語版)を超えてテムズ川南岸のラッゲート・ヒル(英語版)、ブラックフライアーズ、ラフボロ・ロード(英語版)まで運転されたが、1869年以降はムーアゲート止まりとなった。一部の列車はフィンズベリー・パークからノース・ロンドン鉄道(英語版)に乗り入れてブロード・ストリート(英語版)まで運転された。1870年にはハイ・バーネットまでの支線と、ミューゼル・ヒルまでの支線の開業に備え、フィンズベリー・パークとフィンチリー・アンド・ヘンドン(後のフィンチリー・セントラル)間が複線化された。
線路用地の買収価格が高騰したため、路線の建設にあたっては建設費低減のため切取、築堤、高架橋などが多用された。トンネルの間の切取にハイゲート駅を設けたハイゲート・ヒル(英語版)の事例、ドリス・ブルック(英語版)を超える高架橋(英語版)と、ミューゼル・ヒルの高架橋は特に有名である。
支線1870年に建設されたハイ・バーネット支線の典型的な駅舎の例。ウッドサイド・パーク駅
フィンチリー・アンド・ヘンドンからハイ・バーネットまでのハイ・バーネット支線は1872年4月1日[5]、途中にウッドサイド・パーク、トテリッジ・アンド・ウェットストーンの両駅を設置して開業した。ウェスト・フィンチリーの開業は1933年と、かなり後年になってからである [5]).
この支線は丘の上にある大きな集落の南まで伸び、この集落はエッジウェアよりも大きな集落であったこと、フィンチリーでの宅地開発が急速に進んだことから、ハイ・バーネット支線はすぐにエッジウェアへの本線をしのぐ旅客を輸送するようになった。ロンドン中心部からの列車はハイ・バーネットに直通するようになり、エッジウェアとフィンチリーの間は単線のまま残され、区間運転の列車が走るようになった。
ハイゲートからアレクサンドラ・パレス(英語版)までのミューゼル・ヒル支線は別会社ミューゼル・ヒル鉄道によって建設され、1873年5月24日に開業した。隣接するアレクサンドラ・パレス(英語版)が開業の2週間後に焼失、乗客数が激減したことから路線も休止され、宮殿再建後の1875年5月に再開されている。
1860年代にエッジウェア地区にはもうひとつの別の鉄道会社、ワトフォード・アンド・エッジウェア鉄道(英語版)(英語:Watford and Edgware Railway、W&ER)が設立されており、エッジウェアとハートフォードシャー(英語版)のワトフォードを結ぶ各種路線案を検討していた。ワトフォード・アンド・エッジウェア鉄道は資金集めに難航し、この会社自体と、路線建設の権利の所有者は、1930年代に路線建設が具体化するまでに何度も変わっている。
開発、混雑の激化と競合1900年-1918年