エセキエル・モスケラ
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エセキエル・モスケラ
Ezequiel Mosquera



基本情報
本名Ezequiel Mosquera Miguez
エセキエル・モスケラ・ミゲス
生年月日 (1975-11-19) 1975年11月19日(48歳)
国籍 スペイン
選手情報
所属出場停止中
分野ロードレース
役割選手
特徴クライマー
プロ経歴
1999–2002
2003
2004
2005
2006
2007–2008
2009–2010
2011パレデス・モヴェイス
カンタニェデ
ボアヴィスタ
カイク
コムニタ・バレンシアナ
カルピン・ガリシア
シャコベオ・ガリシア
ヴァカンソレイユ・DCM
主要レース勝利
ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間1勝
最終更新日
2012年1月31日

エセキエル・モスケラ(Ezequiel Mosquera、1975年11月19日- )は、スペイン自転車競技選手。ガリシア州ア・コルーニャ県テオ出身。
来歴

プロロードレース選手となったのは1999年からだが、2005年まではポルトガル籍のチームに在籍していたこともあり、ロードレースの主要大会にはほとんど出場する機会がなかった。

2007年に現在のシャコベオ・ガリシアである、カルピン・ガリシアに移籍。

ブエルタ・ア・エスパーニャ初出場。得意の山岳コースで力強い走りを見せて総合5位と健闘。

2008年

バスク一周総合9位(第4ステージまでは総合2位)。

ブエルタ・ア・エスパーニャの第14ステージでは、最後までアルベルト・コンタドールリーヴァイ・ライプハイマーと競り合い3位に入り、総合4位と健闘した。

2009年ブエルタ・ア・エスパーニャ総合5位。

2010年

8月上旬に行われたブエルタ・ア・ブルゴスで総合優勝のサムエル・サンチェスに次いで2位に入る。なお、同レース3位が同年のブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝争いを演じることになるヴィンチェンツォ・ニバリであった。

ブエルタでは、登坂力を見せ、第17ステージ終了時点でニバリに39秒差の総合2位に浮上。最後のクライマックスとなった第20ステージでは終盤、ニバリと壮絶なアタック合戦を演じた末、ニバリを1秒差退けブエルタ初の区間優勝を果たした。総合ではニバリに41秒差の2位に入り、ブエルタ過去最高成績を収めた。

9月30日、当年のブエルタにおけるドーピング検査で、ヒドロキシエチル澱粉の陽性反応が確認される[1]

11月6日、Bサンプルでも陽性反応が確認された[2]

2011年

ヴァカンソレイユ・DCMへの移籍が決まったが、上記の件につき、レース活動に支障をきたし、レース出場機会すらなかった。しかしながら、スペイン自転車競技連盟が出場停止処分を躊躇していたこともあり、結論だけが先延ばしされてきたが、当年11月17日、スペイン車連から2年間の出場停止処分が内示として出された[3]ことを踏まえ、ヴァカンソレイユ・DCMも2012年1月5日付でモスケラを解雇するに至った[4]

特徴

栗村修曰く「ディーゼルエンジン」。アルベルト・コンタドールのような一撃で勝負を決めるアタックこそないものの、一度アタックに成功するとそのままのペースで走りきってしまう、山岳で走れるルーラー的脚質を持っている。
脚注^Mosquera positive at the Vuelta - cyclingnews.com 2010年9月30日付記事(英語)
^Mosquera B sample remains to be tested - cyclingnews.com 2010年11月6日付記事(英語)
^Mosquera to be given two-year ban - cyclingnews.com 2011年11月17日付記事(英語)
^Vacansoleil confirm that they fired Mosquera - cyclingnews.com 2012年1月5日付記事(英語)


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