エスペランサ・スポルディング
Esperanza Spalding
ニューポート・ジャズ・フェスティバルで演奏するエスペランサ・スポルディング
2008年8月10日:“カウボーイ”ベン・アルマン撮影
基本情報
生誕 (1984-10-18) 1984年10月18日(39歳)
出身地 アメリカ合衆国 オレゴン州ポートランド
ジャンルジャズ/フュージョン/ボサノヴァ/ネオ・ソウル
職業ミュージシャン/作曲家/音楽講師/バンドマスター
担当楽器ボーカル/ダブル・ベース/エレクトリックベース/ヴァイオリン/オーボエ/クラリネット
活動期間2000s - 現在
レーベルヘッズ・アップ・インターナショナル/Hush Records
エスペランサ・スポルディング(Esperanza Spalding , 1984年10月18日 - オレゴン州ポートランド出身[1][2])は、アメリカのマルチ・インストゥルメンタリスト。
主にジャズ・ベーシスト、歌手として知られているが、その音楽ジャンルは多岐に渡る。 オレゴン州ポートランド近郊のキングに育ったスポルディングであるが[3]、自身の告白によると「ゲットー」的な「ちょっと怖い」場所だったという[4]。母親はシングルマザーとして彼女と彼女の弟を育てた、勤勉な女性だった[5]。 アフリカ系アメリカ人、ウェールズ及びスペインの血を引き[6]、「ウェールズ、ヒスパニック、ネイティブ・アメリカンにアフリカからの古いルーツを加えた」多様な民族的遺産を受け継いでいるという[4]。 「母はウェールズ/ヒスパニック/ネイティブ・アメリカン系で、父は黒人だった」と自身が語るように、彼女の黒人としてのルーツは父親から[7]、ヒスパニックとしてのルーツは南カリフォルニア出身でキューバ人の乳母として働きスペイン語を覚えた母親から間接的に受け継いだものだという[8]。スポルディングはこれらの影響を人生における他の様々な要素とあわせて自分を形成してきたものだと語っている[8]。さらにブラジルを含めた他の文化にも興味があり[9]、各言語特有の芸術性に敬意を表している。特にポルトガル語については「ポルトガル語の歌というのはメロディと言葉が本質的に絡み合っていて、それでいて美しい」とコメントしている[10]。実母はかつて、歌手のような仕事をしていた時期もあった[5][11]ため、娘・エスペランサの音楽への興味を尊重している。エスペランサも、音楽を追求する上で母親からの強い影響を認める一方、4歳の時にテレビ番組でチェリストのヨーヨー・マを観て感激したことも、音楽家を志すきっかけになったという[5]。 5歳になるまでにはヴァイオリンをマスターし、オレゴン州の地域の集まりで演奏するようになっていた[5]。幼少時はずっと体が弱く、小学校にはほとんど通えずにホームスクーリングで教育を受けていたが、その後ポートランドの北東部にあるキング小学校に転校する[3]。そこで、エスペランサが8歳ぐらいの時に、母親が大学へジャズ・ギターを習いに行っていた時の教師を付かせる[10]。エスペランサ曰く、「ギター教室に連れていってもらったとき、私はピアノの下に座っていたの。家に帰ったら母と先生が演奏していた曲を自分でもやってみていた」[10]。高校でダブル・ベースを始める前にはオーボエやクラリネットを演奏していたこともある[2][5]。また、英語/スペイン語/ポルトガル語で歌うことができる[12]。
略歴
生い立ち・学歴
ベースへの転向イタリア・ペルージャ州のウンブリア・ジャズ・フェスティバル
チェロを希望していた時期もあったが、アートスクールの名門校であるノースウエストアカデミーの奨学金を得たのをきっかけにベースへ転向した。理由は、特に選択を絞ったわけではなく「その独特の形」と音に共鳴したからだという[13][14]。また、「朝起きたらそこに相棒がいた、という感じ」と形容している[10]。その頃までに音楽の授業で何度かベースを手にすることはあったものの、本格的に弾いたことはなく、他の楽器の上達には限界だった頃もあったという[15][16]。バンドの担当教師に、彼女の最初のコンサートで演奏することになるブルースのベースラインを教わってからは[15]毎日ベースを弾くようになり、やがて虜になっていったようである[10]。14歳の1年間を過ごす[15][17]。