エスファハーンの
マスジェデ・ジャーメ
(イラン)
北のイーワーンから南のイーワーンを臨む
英名Masjed-e J?me of Isfahan
仏名Masjed-e J?me’ d’Ispahan
面積2.08 ha
(緩衝地域 19 ha)
登録区分文化遺産
登録基準(2)
登録年2012年
公式サイト世界遺産センター
エスファハーンのジャーメ・モスク(ペルシア語: ???? ???? ??????; Masjid-e-J?me`-e E?fah?n)は、イランのエスファハーンにある会衆のモスク[1]。金曜モスク(ペルシア語: ???? ????; Masjid-e-Jom`eh)ともいう[2]。771年に建築されたエスファハーンでもっとも古いモスクであり、絶え間無く建築活動が行われた結果、建物のどの部分がどの時代に建てられたのかすら特定が困難な複雑な歴史を持つ[3]。イランにおけるモスク建築史を体現している建築物とも言え、イスラム建築研究者の石井昭は「建築様式の博物館である」と評している[4]。イタリア中東研究所(IsMEO)が1970年代に発表した研究報告書を元に独自調査を行ったイスラーム美術史・文化史研究者のオレグ・グレーバー Oleg Graber は、エスファハーンのジャーメ・モスクは少なくともブワイフ朝時代、セルジューク朝時代、イルハン朝時代、ティムール朝時代、サファヴィー朝時代、アフシャール朝時代以降の6つの時期に区分し、分類できるとしている[5][6][7]。ユネスコの世界遺産に登録されている[8]。 市の中心ギャーム広場の近くにある。約2キロメートル南方には同じく世界遺産のイマーム広場(旧名「王の広場」)や17世紀前半建造のイマーム・モスク エスファハーンのジャーメ・モスクは、771年にエスファハーンの別のモスクからミンバルをこの地に移送してきたことから始まる。最初期のモスクの形態については不明な部分も多く、考古学的な発掘調査によって煉瓦と木材を使用した古典的なモスクであったことが判明している程度である[9]。 このモスクは約2世紀の間、小規模な修復を行いつつも大きな変容は無いままに使用がなされていたが、10世紀後半のブワイフ朝の時代になると、中庭に面した部分が最新の装飾技法を用いた焼き煉瓦で作り直され、建物の大幅な拡張が行われた。これによって教室、図書室、宿泊施設として使用される部分が出てきたほか、出入り口には2本の新しいミナレットが建てられた。この大きな変容は、シーア派であったブワイフ朝によって980年頃に建てられたジョルジール・モスク
目次
1 立地
2 歴史
3 構造
4 世界遺産
4.1 登録基準
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
立地
歴史
スンナ派のセルジューク朝の時代になると今日に残るジャーメ・モスクの基礎的な部分がほぼ完成する。