エストニア_(クルーズフェリー)
基本情報
船種クルーズフェリー、Ro-Ro船
所有者
1980?1988: Rederi Ab Sally
1988?1992: Effoa
1992?1993: Effdo 3 Oy
1993?1994: Estline Marine Co Ltd
運用者
1980?1987: Rederi Ab Sally (Viking Line traffic)
1987?1990: Rederi AB Slite (Viking Line traffic)
1990?1991: Silja Line
1991?1993: Wasa Line
1993?1994: EstLine
建造所マイヤー・ヴェルフト
IMO番号7921033
改名
1980?1990: Viking Sally
1990?1991: Silja Star
1991?1993: Wasa King
1993?1994: Estonia
経歴
発注1979年9月11日
起工1979年10月18日
進水1980年4月26日
竣工1980年6月29日
就航1980年7月5日
最後1994年9月28日沈没
要目
総トン数15566t
載貨重量2800t
全長155.43m(建造時)
157.02m(1984年)
全幅24.21m
喫水5.55m
機関方式MAN 8L40/45 4基
出力17625kW
速力21ノット
旅客定員2000人
乗用車460両
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エストニア(Estonia)は、ヴァイキング・サリー(Viking Sally)として建造され、シリヤ・スター(Silja Star)、ヴァーサ・キング(Wasa King)と名称を変えたクルーズフェリー。1994年9月28日にバルト海で沈没したが、この事故は平時において852人の犠牲者を出した20世紀最悪の海難事故の一つとして知られている[1][2]。
目次
1 建造
2 運用
2.1 ヴァイキングライン
2.2 エフジョン
2.3 エストライン
3 沈没事故
3.1 航行
3.2 救難活動
3.2.1 船舶による活動
3.2.2 航空機による活動
3.2.3 結果
3.2.4 タイムライン
3.3 公式調査と報告
3.4 影響
3.5 陰謀論
3.6 沈船の保護
4 構造
4.1 ヴァイキング・サリー時代のデッキプラン
5 画像
6 関連作品
7 関連項目
8 注
9 出典
9.1 参考文献
10 関連文献
11 外部リンク
建造西ドイツパーペンブルク
(英語版)のマイヤー・ヴェルフトに対して、ノルウェーの海運コンソーシアムが、ノルウェーとドイツを結ぶ航路への就航を計って発注したものである。だが、この計画は建造の終盤において中止され、建造契約はヴァイキングラインの共同事業主の一つであるレデリ・Ab・サリー(英語版)に譲渡された[注 1][3]。建造時点では、レデリ・Ab・スリーテ(英語版)[注 2]が、同じくマイヤー・ヴェルフト造船所で1979年に発注していたディオーナII(英語版)の姉妹船として設計されていた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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