エステル・テイラー
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エステル・テイラー
Estelle Taylor

本名Ida Estelle Taylor
生年月日 (1894-05-20) 1894年5月20日
没年月日 (1958-04-15) 1958年4月15日(63歳没)
出生地 アメリカ合衆国デラウェア州ウィルミントン
死没地 アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
職業女優
活動期間1919-45年
配偶者ケネス・マルコム・ピーコック(1911?25年)
ジャック・デンプシー(1925?31年)
ポール・スミス(1943-45年)
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エステル・テイラー(Estelle Taylor、1894年5月20日 - 1958年4月15日)は、主に1920年代ハリウッドサイレント映画時代に活躍したアメリカ合衆国女優[1]
生い立ち

デラウェア州ウィルミントンユダヤ人の家庭にイーダ・エステル・テイラーとして出生[2]。父親のハリー・D・テイラー(1871年生)は、デラウェア州出身[3]、母親のイーダ・ラバーサ・バレット(1874年?1965年)はペンシルベニア州イーストン出身、後にフリーのメークアップ・アーティストとなった[4]。両親は1903年に離婚[5]。1898年に生まれた妹のヘレン・テイラーは[6]、サイレント映画にエキストラとして出演した[7][8]

1910年には母方の祖父母、チャールズ・クリストファー・バレット、イーダ・ラウバーと一緒に暮らしていた[9]。高校・大学と地元ウィルミントンで学んだ[10]。1911年、銀行支配人のケネス・マルコム・ピーコックと結婚[11]
経歴

初舞台を踏んだのはミュージカルの『Come On, Charlie』である[12]。ハリウッドに転居後、端役として映画に出演するようになる。テイラーの最も初期のヒット映画の1つがマーク・マクダーモット(英語版)と共演したフォックスの『紐育の丑満時(英語版)』(1920年)である。この3部に分かれている映画で、テイラーとマクダーモットはその都度違う役を演じている。

1922年、『巌窟王(英語版)』でジョン・ギルバートと共演、ニューヨーク・ヘラルドの批評家は「テイラー嬢は冒頭の、或いは恋人であった節同様に復讐の段でも印象的である。単なる無口な自動人形には陥らない、クローズアップに耐える優れた表情の演技があった。」と書いた[13]

最も成功した役の1つが、サイレント映画時代最大のヒット作に数えられるセシル・B・デミル監督の『十誡』でセオドア・ロバーツが演じたモーゼの姉ミリアム役である。デミル作品における演技は最大の功績と考えられている[14]メアリー・ステュアートに扮するテイラー、「Stars of the Photoplay」(1924年)より

関節炎に罹っていたがメアリー・ピックフォード主演の『ドロシー・ヴァーノン(英語版)』(1924年)でメアリー・ステュアート役を射止めた。1926年、彼女はリポーターに「私の長期の病気がせめて、不幸な虐げられたスコットランド女王の苦しみの表現にリアリティを持たせる助けに、少しでもならないかと思いました。」と語った[14]

1926年、ワーナー・ブラザースの『ドン・ファン』でルクレツィア・ボルジアを演じた。同期するヴァイタフォンによる音響効果と音楽が付いた最初の長編映画で、ジョン・バリモアメアリー・アスター、ワーナー・オーランド(英語版)も出演している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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