エステラ・L・コー(Estella L. Coe、1887年3月17日 - 1966年7月)は、アメリカン・ボードの宣教師である。
に生まれる。オベリン大学を卒業、ウェスタン大学で社会福祉学を専攻する。父親の遺言により宣教師になる。1911年アメリカン・ボードの宣教師として来日し、神戸女学院に勤務する。1916年に鳥取市に赴任して、H・J・ベネットの協力を行う。鳥取教会を拠点に活動を行う。ベネットとコーの宣教師時代に鳥取教会は大きく教勢が拡大する。
また、キリスト教養護施設鳥取こども学園を設立する。
1918年9月鳥取大洪水の時には、幼児を救出する。1930年7月病のためにアメリカに帰国する。帰国後も鳥取こども園を支援し続け、1966年にアメリカで死去する。
コーに感化を受けたクリスチャン青年たちは、熊本バンドにならい鳥取バンドを結成した。彼らは、同志社や神戸女子神学校(現・聖和大学)で学び、牧師や伝道者として活躍した[1]。
脚注^ 守部喜雅(2009年)145頁
参考文献
『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
守部喜雅『日本宣教の夜明け』いのちのことば社、2009年
表
話
編
歴
明治後期・大正・昭和初期の来日宣教師(1890年 - 1945年)
日本のキリスト教史
カトリック教会
ジャン・アレキシス・シャンボン(1900) · ヨゼフ・フロジャック(1903)
イエズス会
ヘルマン・ホフマン(1910) · ヘルマン・ホイヴェルス(1923) · ヨハネス・ラウレス(1928)
正教会
アンドロニク・ニコリスキイ(1907) · セルギイ・チホミーロフ(1908)
聖公会
ハンナ・リデル(1890) · B・F・バックストン(1890) · エミー・カーマイケル(1893)
米国聖公会
H・S・G・タッカー(1899) · ルドルフ・トイスラー(1900) · C・S・ライフスナイダー(1901) · ノーマン・ビンステッド(1915?1916?) · ポール・ラッシュ(1925)
聖ヨハネ修士会
A・K・ライシャワー(1905)
米国オランダ改革派
J・M・M・カイパー(1905) · L・J・シェーファー(1912)
南長老ミッション
セディ・リー・ワイドナー(1918)
メソジスト派
C・A・ヒューエット(1897) · A・D・ベリー(1902) · E・T・アイグルハート(1904) · アルバータ・スプロールズ(1906) · C・W・アイグルハート(1909)
米国南メソジスト監督
J・S・オックスフォード(1910)
美普教会
O・A・ハジス(1902)