座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度53分44秒 東経12度29分48秒 / 北緯41.89556度 東経12.49667度 / 41.89556; 12.49667
エスクイリーノ(イタリア語: Esquilino,ラテン語: Esquilinus エスクイリヌス(またはエスクイリーノの丘(イタリア語: Colli Esquilino,ラテン語: Mons Esquilinus)は、イタリア ローマ市中心部の丘。都市ローマの元になった七つの丘の一つである。この地域のことをラテン語でEsquiliaeと表記することもある[1]。現代の街区で凡そこの範囲を説明するならば、北西端はフォロ・ロマーノ及びコロッセオからテルミニ駅前までのカヴール通り(ローマ地下鉄B線のライン)、北東端はイタリア鉄道のローマ・テルミニ駅の広大な駅舎及び線路、南端はコロッセオからマッジョーレ門を結ぶ線上のラビカナ通りで、これらの線に囲まれた街区ということになる。
エスクイリーノ(エスクイリヌス)の丘は七つの丘のうちで標高が最も高く、かつ最も面積が広い。かつては、古代ローマのアゴナリア祭(英語版)の一つで12月11日に祝われる「七丘祭」[2]、または七丘祭で祝われる対象のオッピウス、ファグタル、キスピウスの高台(丘)に分けて言及されることも一般的あった。
エスクイリーノの丘の地形とリオーネ・エスクイリーノの行政区域を混同してはいけない。リオーネの範囲は丘の北西で、丘の南西はローマで最も古いリオーネであるモンティに所属している。二つのリオーネは総主教のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の間を走るメルラーナ通りにより隔てられている。20世紀末より、リオーネ・エスクイリーノでは中国人を筆頭とした外国人居住者の割合が増えイタリアで最大の華僑コミュニティー(20世紀末時点で約2万人)を形成している。 エスクイリヌスに人が居住し始めたのは紀元前8世紀に遡り、紀元前8世紀半ばから前7世紀の物と思われるネクロポリスが残っている。古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスによれば、王政ローマ第6代の王セルウィウス・トゥッリウスがエスクイリヌスに居を構えたと言われる[3]。紀元前1世紀の政治家ガイウス・マエケナスは、ローマで初めてヘレニズム様式とペルシア様式を採り入れた『マエケナス庭園』を、セルウィウス城壁とネクロポリスにかけてのエスクイリヌスの丘付近に造営した。ローマ帝国第5代皇帝ネロは、丘の南端のオッピウス付近に誇大妄想的な巨大宮殿ドムス・アウレアを造った。後にドムス・アウレアは取り壊され、そのテラス部分の遺構の上に第13代皇帝トラヤヌスがトラヤヌス浴場を、谷底の人工池の跡に第57代皇帝コンスタンティヌス1世がフラウィウス円形闘技場(コロッセオ)を建てるなどした。3世紀にはリキニウス庭園
歴史
古代ローマ期の地形図アウェンティヌスカピトリヌスカエリウスエスクイリヌスパラティヌスクイリナリスウィミナリス
(ウェリア)(キスピウス)(パラティウム)(キスピウス)(ファグタル)
(カンプス・マルティウス)(ティベリーナ島)(スブッラ)
紀元前31年のローマの地図上に示した、ローマの七丘およびその他の主要地形の名称。都市を囲む黒点線はセルウィウス城壁 オッピオの丘の大部分はコッレ・オッピオ公園(Parco del Colle Oppio オッピオの丘公園,造営1928年-1936年,広さ11ha[5])となっている。公園はかつてのトラヤヌス浴場跡となっており、現在でもエクセドラ部分の壁などが残っている。また、フラウィウス円形闘技場(コロッセオ)の谷に向かう斜面の地下にはネロ帝が建てたドムス・アウレアの遺構が残っている。公園内にはティトゥス浴場の跡もわずかながら残っている。
初期ローマの七丘
都市ローマ成立前に人が定住したと伝えられる七丘で、オッピウス(オッピオ)、パラティウム(パラティーノの東側)、ウェリア(ヴェーリア)、ファグタル(オッピオの一部)、ケルマルス(パラティーノの西側)、カエリウス(チェリオ)、キスピウスの7つである。※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
ローマの七丘
詳細は「ローマの建国神話」を参照都市ローマの起源となったローマの七丘は、アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、カエリウス(チェリオ)、エスクイリヌス(エスクイリーノ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ウィミナリス(ヴィミナーレ)の7つである。※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
現代のローマ七丘
アウェンティヌス(アヴェンティーノ)、カピトリヌス(カンピドリオ)、パラティヌス(パラティーノ)、クイリナリス(クイリナーレ)、ホルトゥロルム(ピンチョ)、ヤニクルム(ジャニコロ)、オッピウス(オッピオ)の7つ[4]である。※カッコ内は現代のイタリア語での表記。
見どころ
オッピオの丘・ファグタルの丘
キスピウスの丘
エスクイリーノの丘からキスピウスの丘が南西方向に分かれて延びる付け根辺りに、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂がある。この辺りの標高は54mである[1]。