エスキモー
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、ツンドラ地帯の先住民族について説明しています。その他の用法については「エスキモー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

エスキモーEskimo

居住地域
カナダ 北部一帯
ヌナブト準州
ヌナビク
ヌナツィアブト
アメリカ合衆国 アラスカ州
グリーンランド
ロシア シベリア北東部
言語
エスキモー・アレウト語族
宗教
キリスト教
シャーマニズム
アニミズム

イヌイットの家族
(1917年の雑誌"National Geographic Magazine"より)イグルー内部

エスキモー(英語: Eskimo)は、北極圏シベリア極東部・アラスカカナダ北部・グリーンランドに至るまでのツンドラ地帯に住む先住民族グループである。

彼らは元々狩猟採集生活者の暮らしを送っており、だけを食べていたが、白人との交易が始まって小麦粉砂糖を食べるようになってから、肥満糖尿病を患うようになった[1]

カナダ政府とアメリカ合衆国政府により「保護するべき集団」と見なされ、パターナリスティックな扱いを受けている[2]
民族

エスキモーとは単一の民族ではなく、大きくはアラスカ北部以東に住むイヌイット (Inuit) 系民族(東部集団)とアラスカ中部以西のユピク (Yupik) 系民族(西部集団)に分けられる。なおグリーンランドに住むのは学術的にはイヌイットであるが、現地ではカラーリットと呼ばれている。

総人口約9万人のうちグリーンランド住民が最も多く、4万1000人。アラスカ3万2000人。カナダ1万2000人。シベリア1200人を数える。
生活と文化雪原の照り返しから眼を保護するための遮光器

で造ったイグルー等に居住し、魚や海獣を捕って生計をたて、カヤックイヌぞりによる移動生活を送る、というのが一般的なエスキモーの生活とされており、現在でも定住せずに移動生活をする者もいる。イグルーは移動するときに使うもので、定住のための住居ではない。

しかし近年では、定住して都市部に住む者が増えてきており、エスキモーの移動生活は過去の物となりつつある。
食生活.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節は、全部または一部が他の記事や節と重複しています。 具体的にはヴィルヒャムル・ステファンソン#完全肉食生活 や痩身#完全肉食生活との重複です。記事のノートページで議論し、
重複箇所を重複先記事へのリンクと要約文にする(ウィキペディアの要約スタイル参照)か

重複記事同士を統合する(ページの分割と統合参照)か

重複部分を削除して残りを新たな記事としてください。
(2024年1月)

伝統的なエスキモーでは、食生活は狩猟によって得た生肉が中心であった。獲物は漁を中心とするエスキモーはアザラシクジラ等、また陸での猟をするエスキモーはカリブートナカイ)である。生肉の他には、ツンドラの原野に自生するコケモモの実を食することもある。気候の性質上、穀物は食べず、カリブー、クジラ、アザラシの肉だけを食べていた。

エスキモーたちと一緒に暮らした経験を持つ探検家、ヴィルヒャムル・ステファンソンは、食事療法、とりわけ、炭水化物が少ない食事療法に大いに関心を抱いていた。1906年から1907年にかけて彼らと暮らしたステファンソンは、食事について、「全体の90%が肉と魚で構成されている」と記録している。彼らの食事は「Zero Carb」「No Carb」(「炭水化物をほとんど含まない食事」)と見なされるかもしれない(彼らが食べていた魚にはわずかな量のグリコーゲン(Glycogen)が含まれてはいたが、炭水化物の摂取量は全体的にごく僅かであった)。ステファンソンの仲間の探検家たちも、この食事法で完全に健康体であった。エスキモーたちとの暮らしから数年後、ステファンソンは、アメリカ自然史博物館からの要請で、同僚のカーステン・アンダーソン(Karsten Anderson)とともに再び北極を訪れた。2人のもとには「文明化された」食料が1年分補給される予定であったが、2人はこれをやんわりと断った。当初の計画は1年間であったものが、最終的には4年間に延長された。北極圏にいた2人がその4年間で食べていたものは、捕えて殺して得られた動物の肉と魚だけであった。4年に亘る肉食生活を送る過程で、2人の身体には異常も悪影響も見られなかった。ウィリアム・バンティング(William Banting)と同じく、炭水化物のみを制限し、身体が本当に必要としている食べ物を食べ続けた場合、身体は完全に機能し、壮健さと細身を維持できることが明らかとなった。「カロリー」については一切無視された[3][4]

肉だけを食べる食事法が続行可能かどうかについての見解をステファンソンが報告した際には多くの懐疑論が出たが、のちに行われた研究と分析で、それは可能であることが裏付けられた[5]。複数の研究結果により、イヌイットたちの食事法は「ケトン食療法」であることが示された。彼らは主に魚や肉を煮込んで食べており、時には魚を生で食べることもあった[6][7][8]

1928年、ステファンソンとアンダーソンの2人はニューヨークにあるベルヴュー病院(Bellevue Hospital)に入院し、完全肉食生活が体に及ぼす影響についての実験台となった。実験の期間は1年間であり、コーネル大学のウジェーヌ・フロイド・デュボア(Eugene Floyd DuBois)が実験を指揮した。ステファンソンとアンダーソンの2人は、注意深く観察された実験室という設定で、最初の数週間、肉だけを食べ続けても問題無いことを証明する研究の着手に同意し、「食事における決まり事」を確かなものにするために観察者が付いた。スコット・カトリップ(Scott Cutlip)による著書『The Unseen Power: Public Relations』によれば、ペンドルトン・ダッドリー(Pendleton Dudley)がアメリカ食肉協会(American Meat Institute)に対して、この研究に資金を提供してもらえないか、と説得したという[9]。この間にアンダーソンには糖尿病の症状が発現した。糖尿病における病理とは異なり、この研究の過程でアンダーソンの身体に見られた糖尿病の病状の期間は4日間であった。耐性を調べるためにブドウ糖100gを投与させたことと、肺炎の発症はいずれも同時期であった。この時のアンダーソンは、水分と炭水化物が多い食事を取っており、これを排除すると、糖尿病の症状は消滅した[10]。ステファンソンは、研究者から「脂肪が少ない赤身肉だけを食べる」よう依頼された。ステファンソンには脂肪がほとんど無い肉を食べ続けると2-3週間後に健康を損なった経験があり、「脂肪がほとんど無い肉」は「消化不良」を引き起こす可能性がある、と指摘した。この肉を食べ続けて3日目、ステファンソンは吐き気と下痢に見舞われ、そのあとに便秘が10日間続いた[11]。早い段階で体調不良に陥ったのは、自身が以前に食べていたカリブー(トナカイ)の肉と比べて脂肪が少ない肉を食べ続けたのが原因である、とステファンソンは考えた[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:48 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef