エスエス製薬
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エスエス製薬株式会社
SSP Co., Ltd.
本社が入居する東京オペラシティビル
種類株式会社
市場情報非上場(以下は過去のデータ)
東証1部 4537
2010年7月16日上場廃止
略称エスエス
本社所在地 日本
163-1488
東京都新宿区西新宿三丁目20番2号
東京オペラシティビル
設立1927年(昭和2年)10月29日
(株式会社瓢箪屋薬房)(創業:1765年(明和2年))
業種医薬品
法人番号8010001034749
事業内容大衆向け医薬品化粧品他の製造販売
代表者代表取締役社長 ニクヒレッシュ・カルラ[1]
資本金101億7,200万円
売上高349億円
(2020年12月期)[2]
営業利益88億円
(2020年12月期)[2]
経常利益88億円
(2020年12月期)[2]
純利益87億円
(2023年12月期)[3]
純資産172億円
(2023年12月期)[3]
総資産337億円
(2023年12月期)[3]
決算期12月31日
主要株主サノフィ
関係する人物白井正助 (初代)
白井正助 (6代目)
泰道照山
羽鳥成一郎(元社長)
塩野紀子(元社長)
鳥居正男(元社長)
松本純(元従業員)
外部リンクhttps://www.ssp.co.jp/
特記事項:1765年創業。2007年に決算期を3月末から12月末に変更。
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エスエス製薬成田工場

エスエス製薬株式会社(エスエスせいやく、英語:SSP Co., Ltd.)は、OTC(市販向け)医薬品の製造販売を専門とする、日本医薬品メーカーである。

かつては泰道グループの一員であると同時に三和グループ所属企業で設立されたみどり会のメンバーであった。2001年頃よりドイツの医薬品メーカーであるベーリンガーインゲルハイムの傘下に入り、2010年より同社の完全子会社(日本法人5社のうちの1社)となったが、2017年にベーリンガーインゲルハイムとフランスの医薬品メーカーであるサノフィとの間で実施された事業交換に伴い、サノフィ・グループの一員となった。

2015年に、前身である漢薬本舗「美濃屋薬房」から数えて、創業250周年を迎えた老舗企業である[4]
会社概要

現在はOTC(市販向け)医薬品の製造販売に特化した企業である。

かつて行っていた
医療用医薬品事業は、2005年4月1日に撤退(久光製薬に譲渡)した。

社名のエスエスとはS & Sであり、Science & Society pharmaceuticalの略で、創業者である白井正助のイニシャル(Shosuke Shirai)の意味もある。

1952年以来、現在までウサギのマーク(1998年1月1日にリニューアル)で広く知られる。

マスコットキャラクターはウサギの「ピョンちゃん」で因幡の白兎がモデルである[5]。かつては薬局の店頭に、電動遊具なども設置されていた。

香港では、「白兔牌」として知られている。

工場は千葉県成田市にある。
黄色いピョンちゃん
歴史

エスエス製薬の前身は、明和2年(1765年)
美濃国(現在の岐阜県)より出府した白井正助(初代)が興した漢薬本舗「美濃屋薬房」である[6]


店舗を江戸城辺河岸に創設したことから本格的な商いがはじまり、白井家に代々妙薬として伝わる「人参梅花香」「神功丸」「順喜消毒散」「保寿丹」などを販売していた[6]


「美濃屋薬房」の店舗は、当時、日本橋のはずれに位置し、現在の東京駅八重洲南口外堀通り沿いに小規模な店構えでスタートした[6](現在は建物を解体して、東海道新幹線の高架が建っている)。

沿革

1765年 - 白井正助が現在の東京八重洲南口に漢薬本舗「美濃屋薬房」を創業。後に「瓢箪屋薬房」となる。

1927年 - 株式会社に改組し、株式会社瓢箪屋薬房を設立[7]
当時の主要商品のうち、神経系鎮痛薬「アネロン」、1934年に発売された胃腸薬「ユースゲン」・咳専用水薬「ブロン」は商品業態を変えながら現在も発売されているロングセラーブランドとなっている(現在、「アネロン」は乗り物酔い防止薬、「ユースゲン」は滋養強壮剤、「ブロン」は鎮咳去痰薬として発売)。

1929年 - ボランタリーチェーン「瓢箪屋薬房エスエス」を設立。当時の「エスエス」とは、社会奉仕を意味する"Social Service"の略だった。

1940年 - エスエス製薬株式会社に商号変更[7]

1945年 - 空襲により、荏原工場が焼失。

1951年 - 本社を銀座に移転[7]

1952年 - 製品アイ・キャッチャーとしてウサギのマークを採用[7](ただし、社章は菱形に"SS"の字を配し、背後に長方形をあしらったものを1997年12月31日まで使用していた)。

1958年

2月 - 金融操作の誤りから経営不振に陥り、当時の社長だった白井正助 (6代目)が退陣[8]。これにより、江戸創業時代から続いた白井一族の手から離れる[7]

11月 - 泰道照山が社長に就任[8]


1963年 - 日本橋水天宮に本社を移転[7]栄養ドリンク剤「エスカップ」を発売、シンボルマークのうさぎの名前を一般公募し、「ピョンちゃん」となる。

1964年 - 成田工場が操業開始[4]

1965年 - 風邪薬「エスタック」を発売、アンプル入りかぜ薬事件のため風邪薬「エスピレチン」が販売停止となる。

1967年 - ビタミン剤「エスファイト」を発売。

1969年 - 東京証券取引所第二部(現・スタンダード)に株式上場[7]。日本橋浜町に本社を新築・移転[7]。医薬品部を新設し、医療用医薬品事業に進出。


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