エスエス製薬株式会社
SSP Co., Ltd.本社が入居する東京オペラシティビル
種類株式会社
市場情報非上場(以下は過去のデータ)
東証1部 4537
エスエス製薬株式会社(エスエスせいやく、英語:SSP Co., Ltd.)は、OTC(市販向け)医薬品の製造販売を専門とする、日本の医薬品メーカーである。
かつては泰道グループの一員であると同時に三和グループ所属企業で設立されたみどり会のメンバーであった。2001年頃よりドイツの医薬品メーカーであるベーリンガーインゲルハイムの傘下に入り、2010年より同社の完全子会社(日本法人5社のうちの1社)となったが、2017年にベーリンガーインゲルハイムとフランスの医薬品メーカーであるサノフィとの間で実施された事業交換に伴い、サノフィ・グループの一員となった。
2015年に、前身である漢薬本舗「美濃屋薬房」から数えて、創業250周年を迎えた老舗企業である[4]。
会社概要
現在はOTC(市販向け)医薬品の製造販売に特化した企業である。
かつて行っていた医療用医薬品事業は、2005年4月1日に撤退(久光製薬に譲渡)した。
社名のエスエスとはS & Sであり、Science & Society pharmaceuticalの略で、創業者である白井正助のイニシャル(Shosuke Shirai)の意味もある。
1952年以来、現在までウサギのマーク(1998年1月1日にリニューアル)で広く知られる。
マスコットキャラクターはウサギの「ピョンちゃん」で因幡の白兎がモデルである[5]。かつては薬局の店頭に、電動遊具なども設置されていた。
香港では、「白兔牌」として知られている。
工場は千葉県成田市にある。
黄色いピョンちゃん
歴史
エスエス製薬の前身は、明和2年(1765年)美濃国(現在の岐阜県)より出府した白井正助(初代)が興した漢薬本舗「美濃屋薬房」である[6]。
店舗を江戸城辺河岸に創設したことから本格的な商いがはじまり、白井家に代々妙薬として伝わる「人参梅花香」「神功丸」「順喜消毒散」「保寿丹」などを販売していた[6]。
「美濃屋薬房」の店舗は、当時、日本橋のはずれに位置し、現在の東京駅八重洲南口外堀通り沿いに小規模な店構えでスタートした[6](現在は建物を解体して、東海道新幹線の高架が建っている)。
沿革
1765年 - 白井正助が現在の東京八重洲南口に漢薬本舗「美濃屋薬房」を創業。後に「瓢箪屋薬房」となる。
1927年 - 株式会社に改組し、株式会社瓢箪屋薬房を設立[7]。
当時の主要商品のうち、神経系鎮痛薬「アネロン」、1934年に発売された胃腸薬「ユースゲン」・咳専用水薬「ブロン」は商品業態を変えながら現在も発売されているロングセラーブランドとなっている(現在、「アネロン」は乗り物酔い防止薬、「ユースゲン」は滋養強壮剤、「ブロン」は鎮咳去痰薬として発売)。
1929年 - ボランタリーチェーン「瓢箪屋薬房エスエス」を設立。当時の「エスエス」とは、社会奉仕を意味する"Social Service"の略だった。
1940年 - エスエス製薬株式会社に商号変更[7]。
1945年 - 空襲により、荏原工場が焼失。
1951年 - 本社を銀座に移転[7]。
1952年 - 製品アイ・キャッチャーとしてウサギのマークを採用[7](ただし、社章は菱形に"SS"の字を配し、背後に長方形をあしらったものを1997年12月31日まで使用していた)。
1958年
2月 - 金融操作の誤りから経営不振に陥り、当時の社長だった白井正助 (6代目)が退陣[8]。これにより、江戸創業時代から続いた白井一族の手から離れる[7]。
11月 - 泰道照山が社長に就任[8]。
1963年 - 日本橋水天宮に本社を移転[7]。栄養ドリンク剤「エスカップ」を発売、シンボルマークのうさぎの名前を一般公募し、「ピョンちゃん」となる。
1964年 - 成田工場が操業開始[4]。
1965年 - 風邪薬「エスタック」を発売、アンプル入りかぜ薬事件のため風邪薬「エスピレチン」が販売停止となる。
1967年 - ビタミン剤「エスファイト」を発売。
1969年 - 東京証券取引所第二部(現・スタンダード)に株式上場[7]。日本橋浜町に本社を新築・移転[7]。医薬品部を新設し、医療用医薬品事業に進出。