『エジプトの十字軍』(エジプトのじゅうじぐん、イタリア語: Il Crociato in Egitto)は、ジャコモ・マイアベーアによる全2幕のオペラで、『エジプトの十字軍騎士』とも表記される。1824年3月7日にヴェネツィアのフェニーチェ劇場にて初演された[1]。英雄的メロドラマ(melodramma eroico)と銘打たれている。本作の成功をもって、マイアベーアは活躍の場をイタリアからパリに移すことになった。
概要初演で主役を務めたヴェッルーティ
本作はマイアベーアのイタリア時代の最大の成功作であり、最後の作品でもある。「本作はカストラートを主役に作曲された最後の重要作品としても知られ、ロッシーニの模倣を脱して個性を確立し、ロンドンとパリでの再演を通じて、その名がヨーロッパ全域で知られた」[2]。「『エジプトの十字軍』の人気ぶりはイタリア全土の歌劇場が上演したがったと伝えられるほど」であった[3]。イタリアでの上演については、ヴェネツィアでの初演はカストラートのジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティやアンリエッタ・メリック=ラランド(英語版)が出演し、これに続き、同年6月のフィレンツェのペルゴーラ劇場(英語版)での上演ではヴェッルーティは出演したが、パルミーデはアデライデ・トジ(英語版)が務めた。1カ月後のトリエステでの上演ではニコラ・タッキナルディ(英語版)とカロリーナ・バッシ(英語版)(メゾソプラノでアルマンド役)らが出演した[4]。英国初演はロンドンのキングズ劇場にて1825年 6月3日に行われ、ヴェッルーティは出演し、マリア・マリブランもフェリーチェ役で出演した。オペラ自体は熱狂的に迎えられたが、ヴェッルーティは悪意のある攻撃にさらされた。背景にはカストラートはロンドンでは30年以上、舞台から遠ざかっていたという事情があったのである[5]。フランス初演は1825年9月25日にパリのイタリア座(フランス語版)で行われ、ジュディッタ・パスタ (アルマンド役)とニコラ・プロスペル・ルヴァッスール(英語版)といったスター歌手が出演した。フランスでもカストラートが好まれなかったことから、パスタが主役を務めたのである。この当時の「イタリア座のレパートリーで、ロッシーニ以外のオペラはマイアベーアの本作だけであった」[6]。本作が上演できた「背景には、親友ジョアキーノ・ロッシーニが1824年にこの歌劇場の総支配人に就任したという事情も介在した」のである[3]。ロッシーニはこのドイツ人からイタリア人、さらにその後フランス人となった音楽家に深い愛情を保っていたのである[6]。
音楽的特徴1825年時のマイアベーア
本作は古典派音楽からロマン派音楽へ移行する過程に該当するが、チェンバロ伴奏のレシタティーヴォが残っていることやカストラートが主役に設定されている点は古典派の顕著な特徴である[7]。カストラートについては、ロッシーニ『パルミラのアウレリアーノ』(1813年)、メルカダンテ『アンドローニコ(イタリア語版)』(1821年)、『エジプトの十字軍』で主役を務めたジョヴァンニ・バッティスタ・ヴェッルーティが1830年に引退し、オペラの舞台からカストラートは姿を消したのである[8]。