Ecole polytechnique
モットーPour la Patrie, les Sciences et la Gloire
モットー (英語)For the Homeland, Science and Glory
種別グランゼコール, かつては軍学校
設立年1794
総裁技師Yves Demay
学生総数2,888[1]
大学院生技術士500人、
修士439人[1]
博士課程在籍者572[1]
所在地フランス
パレゾー
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度42分47秒 東経2度12分32秒 / 北緯48.713度 東経2.209度 / 48.713; 2.209
エコール・ポリテクニーク(フランス語: Ecole polytechnique、通称X〈イックス〉)または理工科学校(りこうかがっこう)は、フランスのパリ市近郊エソンヌ県パレゾーに位置する軍事省管轄の公立高等教育研究機関である。理工系グランゼコールのひとつである[3][4]。フランス革命時に創設された3校(パリ高等師範学校、エコール・ポリテクニーク、国立工芸院)のうちの一校であり、現代フランス社会において行政学院と共に絶大なる影響力を誇る[5]。フランスの理系学生の最優秀層は、エコール・ポリテクニークかパリ高等師範学校の理数科に進学する。
4年の課程でIngenieur Polytechnicien の理工系学位を付与する[6]。学生やディプロム授与者はポリテクニシャン(polytechnicien)と呼ばれる。学生の多くは、グランゼコール準備級で2年間数学と物理を学んだ後、または理学士(Bachelor of Science)を取得したのちに、本校を受験することとなる。
フランス革命中の1794年9月28日に、数学者ラザール・カルノーとガスパール・モンジュによって創設され、1804年にナポレオン・ボナパルトによって軍学校とされた。
"ポリテクニック"の語源となった学校であり、世界中にエコール・ポリテクニークをモデルとした学校・大学が存在する。理工系エリート(テクノクラート)養成の機関であり[5]。同校からは3名のノーベル賞受賞者、1名のフィールズ賞受賞者、3名のフランス大統領、複数の企業CEOを輩出している。2015年TimesのTHE世界大学ランキングによって、フランス国内において第一位と認定された。
ParisTechの設立メンバーとしてパリ近郊の各高等工科系の学校とグループを結んでいる。
2019年に設立されたパリ工科大学(Institut Polytechnique de Paris, IP Paris)を構成する5つのグランゼコールの1校である。
歴史
1794年、フランス革命中にラザール・カルノーとガスパール・モンジュにより Ecole centrale des travaux publics の名称で設立される。初代校長はジョゼフ=ルイ・ラグランジュが就いた[要検証 – ノート]。
1805年、皇帝ナポレオン・ボナパルトによってパリ市カルチエ・ラタンに軍学校として移設。
1814年、第六次対仏大同盟のパリ防衛戦(パリの戦い、Bataille de Paris (1814))に学生が参加。
1830年、フランス7月革命においては、40人の学生がこれに参加。