エコファシズム(英: ecofascism)は、エコロジー(環境主義)とファシズムを関連付けた用語で、環境主義を理由にして全体主義・権威主義・人権抑圧などを正当化する思想や傾向を指す[† 1]。この用語は環境主義に批判的な立場から、環境主義に対する蔑称としても使用されている[1]。 「エコファシズム」は、権威主義的な政府が個人に対してその個人的利益を「自然の有機体全体」のために犠牲にするように要求する、理論上の政治モデルの一つである[2]。一部の作家は、環境問題に対処するために極端なまたは「ファシスト」的な政策に頼る可能性のある未来のディストピア政府の架空の危険性を述べるためにこの用語を使用した[2]。またほかの作家は、環境問題に焦点を当てた歴史的または現代のファシズム運動を説明するためにこの用語を使用した[3][4]。 「エコファシズム」の政府は存在した事は無いが、ナチズムの中心的スローガンの一つである「血と土」には環境主義の側面がみられる[2]。この用語はイングランド・ウェールズ緑の党の中で影響力拡大を図る極右勢力を記述するためにも使用されている。 白人至上主義・植民地主義とも結びつき、非白人世界の発展や人口増加のせいで環境が損なわれているという思想を生んでいる[5]。マカ族とその支持者は、先住民生存捕鯨の妨害活動を行うシーシェパードのような反捕鯨擁護団体を、エコ植民地主義者(eco-colonialist)、エコテロリスト、環境ゴロ(eco-bully)、人種差別主義者などの呼称の他に、エコファシストと呼んで批判している[† 2][6]。 エコロジーの思想的な基盤にはドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルの寄与が指摘されており、ヘッケルの種の優生学的保存などの社会ダーウィニズム的な主張はナチスによるホロコーストを支える理論的な根拠として扱われたことから、エコロジーとナチスのファシズムの二つの思想の潮流を辿ると、いずれもヘッケルを介するという点で共通項をあげることができる[7]。 ナチス政権下のドイツでは、1933年に動物保護法、1934年に国家狩猟法、1935年に国家自然保護法が制定され、動物の虐待の禁止、麻酔なしの生体解剖 エコファシズムの思想的な背景には、大幅な人口減の必要性を唱えるネオ・マルサス主義
概要
ナチズムとエコロジー詳細は「ナチズム」を参照
その他
ギャレット・ハーディン[12]が唱えた「救命ボートの倫理」において、環境収容力を超えては生物が生き残れないとの指摘は評価されたが、人口過剰である途上国を見捨てるべきだとの結論には批判がなされた。また、「土地倫理」において、全体性のために個々の犠牲を強いる思想と批判を受けたアルド・レオポルドや、その思想を受け継ぎ、 生態系の保護のためには人間の排除も辞さない生態系中心主義を唱えたキャリコット[13]の主張は、エコファシズム的な思想として批判を受けている。
人口研究の生物学者ポール・R・エーリック(Paul R. Ehrlich)が広めた「人口爆弾」や「人口爆発」、「人口という疫病」などの用語はエコ・ファシズム的な表現とされ、人間を汚染物質として扱うなど、人間への侮蔑をともなう一方で、エコ中心主義者がそれらの用語を用いる場合、自分がその対象であるとは考えないなどの特徴があげられる[14]。人口過剰に対する警戒は他の集団との反目に発展しやすく、科学主義による人種差別を正当化する恐れがあるとの指摘がある[9][† 3]。
動物の権利論者トム・リーガンは1983年に記した著書[15]の中で、アルド・レオポルドの土地倫理やキャリコットの生態系中心主義に対して、環境ファシズム(environmental fascism)[16][17]であると指摘し[18]、歴史家のローデリック・F・ナッシュ(Roderick F. Nash)はキャリコットの主張に対して人を犠牲して病原菌の権利を擁護する倫理であるとの批判を行っている[19]。