エキスポ科学公園
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この項目では、韓国で開催された大田国際博覧会の跡地について説明しています。

茨城県つくば市の「国際科学技術博覧会」(科学万博)跡地については「科学万博記念公園」をご覧ください。

その他の万博公園については「万博記念公園」をご覧ください。

エキスポ科学公園
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分類博覧会場跡地・記念公園
所在地 韓国大韓民国大田広域市儒城区道竜洞
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エキスポ科学公園(エキスポかがくこうえん、英称:Expo Science Park、ハングル: ???????)は大韓民国大田広域市儒城区にある、1993年に開催された大田国際博覧会の跡地、元テーマパークである。
概要

1993年に開催された大田国際博覧会の会場、総面積27万3000坪(90万0900u)のうち、東側(諸外国などの展示館が建っていた)の8万2000坪(27万0600u)は、閉幕後に商業用地として民間に売却された[1]。国内企業館や、遊園地「クムドリランド」などが立ち並んでいた西側の19万1000坪(63万0300u、駐車場などの付帯施設も含む)は、建物・設備の多くが閉幕後も保存され、科学技術のテーマパーク、国民科学教育の場として使用し続けることが、博覧会の計画段階から決まっていた[2]。博覧会開催から1年後の1994年8月7日に再開場し、名称は「エキスポ科学公園」となった。

この博覧会では、当初計画の段階から、会場や施設の後利用計画が織りこまれていた。博覧会は、莫大な人的・物的資源と経費を投入する行事であることから、開催期間のみの使い捨て的行事に終わらせることなく、その開催意図や成果を未来の社会にまで受け継ぎ、さらに発展させるべく、会場跡を中心に、隣接の大徳科学研究団地と連結した科学公園や先端技術、情報・文化・国際交流などの基盤施設を備えたビジネス・パークとして開発する計画だった[3]

しかし、科学公園の経営は、新しいコンテンツの供給不足などが原因で、赤字が累積された[4][5] 。2002年の報道によれば、モノレール、スカイウェイ(ロープウェー)などは停止されていた。18の展示館のうち、運用中だったのは10だった[6]。当初は、韓国政府が設立した「エキスポ記念財団」が記念事業などを担当し、常設展示などの収益事業は民間企業「エクスピアワールド」に任せる体制だった[7]。しかし、赤字経営が続いたために民間企業が撤退し、記念財団が全体の運営を引き受けることになった。政府は、1999年に大田市に無償で譲渡した。大田市は、「エキスポ記念公園公社」を設立して運営したが、赤字から抜け出せず、2008年4月に政府の行政安全部 (のちの行政自治部)から法人精算命令を受け、公園は「大田マーケティング公社」に移管された。

大田市は、科学公園の再開発を模索するようになった。しかし、再開発では、博覧会のテーマである「科学」との兼ね合いも問題になった。2012年にロッテグループと投資協約を締結し、ショッピング施設、アミューズメント施設が結合されたロッテワールドソウル特別市)のような複合テーマパークの建設が計画された[8]。しかし、市民団体などから、「ロッテワールドのような遊戯施設は、科学公園の象徴性を毀損する恐れが大きい」と反対した。また、大規模なショッピングモール建設のため、商人たちの反発も大きかった。結局、ヨム・ホンチョル市長が任期満了し、決定を次期市長に先送りし、ロッテ資本の誘致は失敗した。

再開発方針における切り替えのきっかけになったのが、李明博政権による国際科学ビジネスベルト事業だった。2011年11月に、大徳研究開発特区内の地域が拠点地区に選定された。これにより、基礎科学研究院が科学公園の敷地に建設されることが決定した[9]

博覧会当時から存在していた展示館のうち、「情報通信館(朝鮮語版)[10]」は2010年に解体された。残りの展示館は、シンボルタワー「ハンビッ塔」周辺の記念ゾーンを除いて、2014年10月から解体が順次開始された[11][12]。解体される直前まで運営されていた展示館は、「シミュレーション館(朝鮮語版)[13](2015年1月1日運営終了)」「エネルギー館(朝鮮語版)[14](2015年1月1日運営終了[15])」「ドーム映像館(朝鮮語版)[16] (2014年4月23日運営終了[17])」などに限られていた。最後まで建物が残存していた「人間と科学館」[18] は、2018年に解体された[19]

科学公園の再開発は、「エキスポ再創造事業(???????? )」と呼称されている[20]。2014年2月の報道によれば、園内は、「エキスポ記念空間」(13万u)、「先端映像産業団地」(10万u)、「国際展示コンベンション地区」(3万u)、「サイエンスパーク」(33万u)の4つの区域に分けられた[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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