エウローパ・レーギーナ
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ゼバスティアン・ミュンスターの『宇宙誌(英語版)』中の「エウローパ・レーギーナ」。

エウローパ・レーギーナ(ラテン語: Europa regina)またはヨーロッパ女王[1]は、ヨーロッパ大陸を女王として描写した地図のような絵である[2][3]。16世紀に人気を博したこの地図はヨーロッパを、神聖ローマ皇帝のレガリア(英語版)を身に付けた若く優雅な女性として描いている。イベリア半島(Hispania)が頭部で、カロリング朝のビューゲル冠(英語版)のような形状のをつけている。ピレネー山脈が首を形作り、イベリア半島と上胸部を作るフランスガリア Galia)とを分けている。神聖ローマ帝国ゲルマニア Germaniaとその他の領土)は胴体の中央であり、ボヘミア(Bohemia。初期の絵ではAustriaのことも)は女王の心臓である(腰のメダルとして描かれていることもある)。長いガウンはハンガリーポーランドリトアニアリヴォニアブルガリアモスコヴィアマケドニアギリシャに伸びる。両腕はイタリアデンマーク(Dania)によって形作られ、王笏宝珠シチリア Sicilia)を持っている[4]。ほとんどの描写において、アフリカアジア、およびスカンジナビア半島は略図で部分的に示されており[4]ブリテン諸島も同様である。
起源

ヨーロッパ中世期、典型的な地図はエルサレムを中心としたTO図であり、ヨーロッパ、アジア、アフリカが描かれていた[5]。ヨーロッパだけを描いた地図は極めて稀であった[5]。ヨーロッパに注目した地図は近世の始まりの1537年にインスブルック出身の地図製作者ヨハネス・プッチによって出版された[5]

プッチの地図が初めてヨーロッパを「エウローパ・レーギーナ」として描いたものであり[6][5][7]、ヨーロッパ地域は王笏宝珠を身につけた人間の女性の形であった[5]。この地図はカルヴァン主義者のChristian Wechelによって最初に印刷された[8]。この地図の起源と当初の需要についてはほとんど不確かであるものの[7]、プッチ(ラテン語化された名前(英語版)はJohannes Bucius Aenicola。1516年 - 1542年[8])が神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と密接な関係を保ち続けたこと[7][8]、そして地図の人気は16世紀広範に大きく高まったことが知られている[7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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