エウゼビオ・ディ・フランチェスコ
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エウゼビオ
ディ・フランチェスコ

ASローマ監督時代(2018年11月)
名前
ラテン文字Eusebio Di Francesco
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1969-09-08) 1969年9月8日(54歳)
出身地ペスカーラ
身長178cm
体重71kg
選手情報
ポジションMF

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1987-1991 エンポリ 102 (3)
1991-1995 ルッケーゼ 139 (12)
1995-1997 ピアチェンツァ 67 (5)
1997-2001 ASローマ 168 (14)
2001-2003 ピアチェンツァ 61 (12)
2003-2004 アンコーナ 10 (0)
2004-2005 ペルージャ 30 (1)
通算577 (47)
代表歴
1998-2000 イタリア12 (1)
監督歴
2008-2009 ヴィルトゥス・ランチャーノ
2010-2011 ペスカーラ
2011 レッチェ
2012-2014 サッスオーロ
2014-2017 サッスオーロ
2017-2019 ローマ
2019 サンプドリア
2020-2021 カリアリ
2021 エラス・ヴェローナ
2023- フロジノーネ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エウゼビオ・ディ・フランチェスコ(Eusebio Di Francesco、1969年9月8日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
選手経歴

ディ・フランチェスコはサッカー選手としてのキャリアをトスカーナ州で始め、 エンポリルッケーゼでプレイし、1995年にピアチェンツァに加入するとレギュラーとしてチームのトップリーグ昇格に貢献した。1997年にASローマと契約を結び、2000-01シーズンにはセリエAの優勝を経験し[1]、ローマに所属していた1998年から2000年にはイタリア代表にも招集され、12キャップを記録した[2]。リーグ優勝を経験した後に20億イタリア・リラでピアチェンツァに復帰し[3]、その後はアンコーナペルージャでプレイをした。
監督経歴

現役引退後はローマでチームマネージャーの役職を務め、2007年にはセリエC2に所属していたヴァル・ディ・サングーロで移籍に関する業務を担当するスポーツダイレクターに就任した[4]。2008年にレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネに所属していたヴィルトゥス・ランチャーノの監督に就任したが、成績不振により2009年1月に解任された[5]

2010-11シーズンにセリエBに所属していたペスカーラの監督に就任すると、チームは魅力的なサッカーを披露し、印象的なシーズンを送った。2011年6月にセリエAに所属していたレッチェの監督に就任するために双方の合意に基づき契約を解除したが[6]、チームが最下位に位置していた2011年12月4日にレッチェの監督を解任された[7]

2012年6月19日、セリエBに所属していたサッスオーロの監督に就任し、2012-13シーズンのリーグ戦でチームを優勝に導き、セリエA昇格を決めた。2014年1月28日に成績不振により監督を解任されたが[8]、ディ・フランチェスコ解任後もチームの成績は上がらず、2014年3月3日に再び監督に就任した[9]。再度の監督就任後は最後の7試合で13ポイントを獲得するなど良い成果を挙げ、セリエA残留を果たした。2014年6月に2016年6月まで契約を延長した[10]

2017年6月13日、古巣であるASローマの監督に就任[11]UEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝で優勝候補のFCバルセロナを第2戦での逆転で下して1983-84シーズン以来の準決勝進出に導き、対戦したリヴァプールFCをあと一歩まで追い詰めたが決勝進出はならなかった[12]。2018-19シーズンは、アリソンラジャ・ナインゴランら主力選手の退団により、不安定なシーズンとなり、SSラツィオとのローマ・ダービーチャンピオンズリーグ・ラウンド16のFCポルト戦で逆転での敗北を喫したことで、2019年3月7日に解任された[13][14]

同年6月、セリエAのUCサンプドリアの監督に就任[15]したものの、開幕から1勝6敗の最下位に低迷し、10月7日に解任された[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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