エア・セイロン
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エア・セイロン

IATA
AEICAO
AE[1]コールサイン
CEYLON

設立1947年
運航開始1947年
運航停止1979年
ハブ空港1947年 - 1967年:ラトゥマラナ空港
1967年 - 1979年:バンダラナイケ国際空港
保有機材数2(1979年)
就航地24
本拠地セイロンコロンボ
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エア・セイロン(英語: Air Ceylon)は、セイロン(現スリランカ)にかつて存在した航空会社。同国のフラッグ・キャリアであった。1947年に設立され、1979年8月31日に全ての営業を後継のスリランカ航空へと譲った。
歴史

1947年セイロンの国営フラッグ・キャリアとして設立され、政府によって3機のダグラス DC-3が購入された。そして、同年12月10日には開業記念フライトが行われ、機長ピーター・フェルナンドと乗客16名を乗せた飛行機がコロンボラトゥマラナ空港からジャフナパラリ空港へと飛び立った。同機はその後マドラスへと向かい、そこからコロンボへと戻ってきた。

1949年にはオーストラリア国営航空(英語版)(ANA)が同社の株式を49%保有し、2機のダグラス DC-4がリースされた。エア・セイロンはこの飛行機を用いてマドラス、ジャフナ、ティルチラーパッリと経由してロンドンを結ぶ運用を開始した[2][3]。さらに翌年にはシンガポールダーウィン経由シドニー行きの運航が始まった[4]

しかし、長距離便の運行に耐えきれなかったエア・セイロンは、英国海外航空(BOAC)がロンドンーコロンボ便にデ・ハビランド DH.106 コメットを導入した後の1953年9月にANAとの協力関係を解消した[5][6]。その後、ANAが保有していた49%の株式は1955年KLMオランダ航空が引き継いだ[7]

1956年2月21日、KLMからリースされたロッキード コンステレーションを用いてロンドン便が再開された[8]。その後この航空機は2年後にはスーパーコンステレーションへと置き換えられ、その後さらにロッキード L-188に置き換えられた。そして、L-188のリースはKLMとの関係が解消する1961年11月まで続けられた[9]。1962年4月、BOACのコメットが再びロンドン便へと投入された。同機はその後1965年11月にビッカース VC10に置き換えられた[10]

1964年以降はマドラスボンベイへの短距離便にアブロ 748が投入された。また、1967年にはノール262も導入された。同年にはバンダラナイケ国際空港が開港し、エア・セイロンのハブ空港となった。また、1969年にはホーカー・シドレー トライデントを購入し、1979年8月までの10年間地域路線で使用された[11][12]

1972年UTAが協力企業となり、同社から1機のダグラス DC-8が売却された。また、技術的支援も行われた。しかし、1976年9月には協力関係が解消し、その後はヨーロッパからの支援を受けなくなった[13]1979年、エア・セイロンの財政難を理由に同社は政府から閉鎖され、後継としてエア・ランカ(現スリランカ航空)が設立された。

これらの期間中、エア・セイロンは主に3つのルートで経由便を運行していた。ヨーロッパ向け、オーストラリア向け、インド向けの3ルートである。
就航都市

エア・セイロン就航都市
国都市空港備考
セイロン
アンパーラアンパーラ空港
バッティカロアバッティカロア空港
コロンボラトゥマラナ空港ハブ空港
バンダラナイケ国際空港ハブ空港
ジャフナジャフナ空港
トリンコマリートリンコマリー空港
アジア
インド
マドラスチェンナイ国際空港
ボンベイチャトラパティ・シヴァージー国際空港
ティルチラーパッリティルチラーパッリ空港
パキスタンカラチジンナー国際空港
モルディブマレイブラヒム・ナシル国際空港
インドネシアジャカルタケマヨラン空港(英語版)
シンガポールシンガポールパヤ・レバー空港(英語版)
タイバンコクドンムアン国際空港
マレーシアクアラルンプールスバン国際空港
イスラエルテルアビブベン・グリオン国際空港
バーレーンマナーマバーレーン国際空港


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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