IATA
ACICAO
ACAコールサイン
AIR CANADA
法人番号3700150005997
エア・カナダ(Air Canada TSX: ⇒ACE.RV)は、カナダの航空会社。 ケベック州のモントリオール市に本部がある。カナダのフラッグ・キャリアでもある。 主要ハブ空港はトロント・ピアソン国際空港である。バンクーバー国際空港が太平洋のハブ空港で、モントリオール・トルドー国際空港が他にハブ空港として利用されている。カルガリー国際空港は西部カナダのミニハブ空港である。元は国営会社だったが、1987年に民営化された。2000年にカナダの大手航空会社、カナディアン航空を吸収した。
目次
1 概要
2 歴史
3 保有機材
3.1 運航機材
3.2 過去の保有機材
4 機内サービス
4.1 言語
5 就航都市
5.1 日本路線
6 子会社・関連会社
6.1 エア・カナダ カーゴ
6.2 エア・カナダ エクスプレス
6.3 エア・カナダ Jetz
6.4 エア・カナダ ルージュ
6.5 エア・カナダ バケーションズ
7 主な航空事故
8 脚注
9 関連項目
10 外部リンク
概要
国営時代のカナディアン・ナショナル鉄道 (CNR) の子会社として設立されたトランス・カナダ航空 (Trans-Canada Airlines, TCA) は、1936年4月に設立された。
当時は太平洋路線と大西洋路線の開設は政府に抑制されていたため、当時の運輸大臣(英語版)であったクラレンス・ハウの下で新規路線開設を行っていた。
1937年9月1日にロッキード L-10Aを使用してバンクーバーからシアトルまで2人の乗客と郵便を運ぶ初飛行を行った。
当時機材はカナディアン・エアウェイズ(英語版)からロッキード L-10 エレクトラ2機とステアマン・エアクラフトの複葉機1機を購入し、ユナイテッド航空とアメリカン航空の役員にノウハウを学びながら運航を始めた。
1938年、最初の客室乗務員を雇った。1939年、モントリオールからバンクーバーの運航を開始。1940年には従業員数は500人に達した。
1942年、カナダ太平洋航空(英語版)から合併を提案されるが、当時の首相であったウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングはTCAこそがカナダであるべき航空会社だと発言し、これを拒んだ。
1964年、TCAはカナダにおけるナショナル・フラッグ・キャリアへと成長した。その頃、当時の首相であったジャン・クレティエンが自身の資産を用いて、社名を変えるように提案された。そして、トランス・カナダ航空 (Trans-Canada Airlines, TCA)はエア・カナダへと社名を変更した。
1970年、政府はエア・カナダの地位を確実にさせるため、CPエアや地方航空会社に対してさまざまな規制を行った。
1970年代後半、カナディアン・ナショナル鉄道 (CNR)と合わせて、エア・カナダは国営企業から離脱し、民営化された。
エア・カナダのパイロットたちは1998年9月2日に会社の歴史始まって以来初めてストライキを起こした。カナダで2番目に大きな航空会社「カナディアン航空」を買収した2000年以降、世界で12番目に大きな商業航空会社となる。日本には比較的早くから乗り入れていた航空会社だが、首都圏以外にも、かつて80年代から00年代初頭にかけて名古屋空港(中部国際空港開港前)からカナダへ直行便を飛ばしていた事もあり、日本と北米の架け橋として貢献してきた。
2002年度、エア・カナダはカナダの20都市、アメリカ合衆国への35路線とアジア、オーストラリア、カリブ、ヨーロッパ、メキシコ、インド及び南アメリカの47都市へ直接旅客サービスとして定期及びチャーター便の運航を行っている。この航空会社は平均すると毎日740便近く、毎年2300万人の顧客にサービスを行っている。
2003年4月1日、エア・カナダは破産保護の申請をした。エア・カナダは最終的に19か月後の2004年9月30日に破産保護を明らかにした。ACE航空ホールディングス株式会社 (ACE Aviation Holdings Inc.) がエア・カナダを所有し再建する新しい親会社となった。
2017年2月に新塗装を発表。