エアブルー202便墜落事故
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エアブルー202便事故機のAP-BJB
(2010年、マンチェスター空港で撮影)
出来事の概要
日付2010年7月28日
概要悪天候およびパイロットエラーに起因するCFIT
現場 パキスタン イスラマバード マルガラ丘陵
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度44分39秒 東経073度02分36秒 / 北緯33.74417度 東経73.04333度 / 33.74417; 73.04333座標: 北緯33度44分39秒 東経073度02分36秒 / 北緯33.74417度 東経73.04333度 / 33.74417; 73.04333
乗客数146
乗員数6
負傷者数0
死者数152 (全員)
生存者数0
機種エアバスA321-231
運用者 エアブルー
機体記号AP-BJB
出発地 ジンナー国際空港
目的地 ベナジル・ブット国際空港
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.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} パキスタンの地図と事故の発生地点

エアブルー202便墜落事故 (エアブルー202びんついらくじこ) は、2010年7月28日09時41分 (現地時間) 、パキスタンイスラマバード近郊において着陸途中であったエアバスA321-200型機丘陵地帯に墜落した航空事故である。エアブルー202便はパキスタンの格安航空会社であるエアブルーによって運行される国内便で、カラチジンナー国際空港を出発し、ラーワルピンディーベナジル・ブット国際空港に到着する予定だった。

乗客乗員152人全員が死亡し、パキスタン史上最悪の航空事故となった[1]。また、エアバスA321型機における初の死亡事故となった[2]
背景
機材

使用機材:
エアバスA321-200 (機体記号: AP-BJB、製造番号: 1218) [3]

搭載エンジン:IAE V2500[3]

機齢:10年3ヶ月[3]

この機体はアエロロイド(英語版)とアエロフライト(英語版)の2社で運用されたのち、2006年にエアブルーに引き継がれた[4]
運行乗務員

機長パキスタン人 (61歳) 、総飛行時間2万5497時間 (A320シリーズにおいて1060時間) [5]

副操縦士:パキスタン人 (34歳) 、総飛行時間1837時間 (A320シリーズにおいて286時間) [5]

操縦は機長が担当していた[6]
ベナジル・ブット国際空港の状況

ベナジル・ブット国際空港は標高1,657フィート (505 m)にあり、
滑走路は滑走路30 (北西向き) /滑走路12 (南東向き) の一本だけであった。当日は風向きのため滑走路12 (方位116°) が発着に使用された。滑走路30 (方位296°) にはILS (計器着陸装置) が装備されていたが、滑走路12には装備されていなかった。滑走路12へ目視での着陸が可能と定められた視程は最低2,400mだった。

事故当日の天候は一日を通して悪天候であり着陸可能基準値のぎりぎりだった。墜落20分後のMETAR (定時気象通報) によると「方位050°から16ノット (30 km/h)の風、視程3,500m、曇り、雨」などであった[7]。墜落の30分前には中国南方航空の先行機が着陸をあきらめ、ウルムチ空港へ引き返した[8]


空港の北東に丘陵地帯がある[9]

事故の経緯
パイロット間のコミュニケーションアエロ・ロイドで運行されていたときの事故機

フライト自体はアプローチ開始までは順調に進んでいたが、コクピットでは離陸後からすでに後の惨事の一因が発生していた。上昇中、機長はエアブルーの社内規定にも反する行為であるにもかかわらず、副操縦士に対して「辛辣、高圧的、否定的な口調」で知識をテストしていた[10][11]。この指導は断続的に約1時間続き[12]、副操縦士は以後萎縮してほとんど喋らなくなった[13]。これが原因となり、後に機長がミスや違反をしたときにも副操縦士は反論せず黙認し、危機的状況に陥ったと認識してもなお、操縦を代わろうとしなかった[13][14][11][15]
誤った着陸方法の準備

機長は巡航中、到着空港の天候が悪いことや滑走路12が使用されていることを把握し、準備を行った[16]

着陸空港へのアプローチは、サークリングアプローチ (周回進入) 方式がとられた。標準的な手順の場合は次のように行われるはずだった。まず着陸する滑走路と反対方向の滑走路30のILSを捕捉し、滑走路30に向かって降下していく。最低降下高度[注釈 1] (当日の場合は2,510フィート (770 m)) で水平飛行に移り、空港を目視できたら、進路を左右どちらか45°にとり30秒間飛行して滑走路との間隔をとる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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