エアバスA300-600
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エアバスA300-600

イラン航空のA300-600R

用途:旅客機貨物機

分類:ワイドボディ機

製造者:エアバス

運用者(2015年7月現在の運用数上位5社)[1]

フェデックス

UPS航空

ユーロビアン・エア・トランスポート(英語版)

マーハーン航空

エア・ホンコン


初飛行:1983年7月9日

生産数:317機(A300-600/-600Rの合計)

運用開始:1984年4月

運用状況:運用中
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エアバスA300-600 (Airbus A300-600) は、エアバス・インダストリー(後のエアバス)が開発・製造した双発ジェット旅客機である。

A300-600は、双発ワイドボディ機であるエアバスA300の発展型として開発され、収容力や航続力が強化されたほか、アビオニクス等に開発当時の最新技術が導入された。構成品の一部はエアバスA310と共通化され、操縦資格もA310と共通となった。A300-600は、低翼配置の主翼下に左右1発ずつターボファンエンジンを装備し、尾翼は低翼配置、降着装置は前輪配置である。全長は54.08メートル、全幅は44.85メートル[注釈 1]最大離陸重量は153トンから171.7トン、標準座席数は2クラス制で226席で、最大巡航速度はマッハ0.82である。A300-600シリーズにはベース機のA300-600のほか航続距離延長型のA300-600Rが開発されたほか、貨物専用型のA300-600F/-600RF、そして大型貨物輸送用のA300-600STも開発・生産された。

A300-600は、1984年4月にサウジアラビア航空(現・サウディア)によって初就航した。A300-600シリーズ全体の生産数は317機で、2007年7月にフェデックスに納入された機体を最後に生産を終了した。2015年11月現在、A300-600シリーズでの機体損失事故は11件、死者を伴う事件・事故は5件報告されており、合わせて736人が亡くなっている。

以下、本項ではジェット旅客機については社名を省略して英数字のみで表記する。例えば、「エアバスA300」であれば「A300」、「ボーイング747」であれば「747」、「ダグラスDC-10」はDC-10、「ロッキードL-1011」はL-1011とする。また、A300-600より前に開発されたA300シリーズをA300第1世代、A300-600以降をまとめてA300-600シリーズと呼ぶ。目次

1 沿革

1.1 A300第1世代の開発

1.2 A310の開発とイギリスの加盟

1.3 設計の過程

1.4 生産と試験

1.5 就航開始

1.6 派生型の開発

1.7 その後の展開


2 機体の特徴

2.1 形状・構造

2.2 飛行システム

2.3 客室・貨物室


3 シリーズ構成

3.1 A300-600

3.2 A300-600R

3.3 A300-600F/-600C


4 運用の状況

5 主な事故・事件

6 主要諸元

7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 参考文献

8.1 書籍

8.2 論文・雑誌記事等

8.3 オンライン資料


9 関連項目

10 外部リンク

沿革
A300第1世代の開発

ボーイング707ダグラスDC-8の相次ぐ就航により本格的なジェット旅客機の時代が到来し、1960年代の中盤には旅客機の大型化が望まれるようになった[2]。空港に行けばいつでも飛行機に乗れる時代が到来すると予想され、バスのように気軽に乗れる飛行機として「エアバス」という言葉が生まれた[3][4]。当時、欧州の航空機メーカーは単独で「エアバス」を事業化できる資金力が無かったことから、欧州各国では「エアバス」の国際共同開発が模索された[5][6][4]。途中、牽引役だったイギリス政府が計画から脱退するなど紆余曲折があったが、フランスとドイツ(西ドイツ)両政府が計画の中心となり、1969年5月29日に正式開発の調印式が行われた[7][8][9] エアバス・インダストリーの初製品となったA300B

機体案はA300Bと名付けられ、座席数が250席程度でターボファンエンジンを備えた双発のワイドボディ機にまとまった[7][8]。事業を取りまとめるため、企業連合「エアバス・インダストリー」が設立された[7][10]。エアバス・インダストリーへの出資は、フランスのアエロスパシアルと西ドイツのドイチェ・エアバスが50パーセントずつ分担し、後にスペインのCASA(英語版)が加わった。このほか、イギリスのホーカー・シドレーとオランダのフォッカーが協力会社として開発や生産を分担した[11]。アエロスパシアルとドイチェ・エアバスが機体全体のとりまとめを行い、ホーカー・シドレーが主翼の設計を担当した[11]

A300Bは1972年10月に初飛行し、1974年5月にエールフランスにより初就航した[12][13]。当初A300Bの受注は低迷したが、参加国政府と銀行団の強力な支援のもと米国のイースタン航空などへの売り込みに成功し、1977年後半から好転した[14][15]。「エアバスA300#沿革」も参照
A310の開発とイギリスの加盟

事業存続の見通しが立ったエアバス・インダストリーは、市場調査により座席数200席強の旅客機需要が高まると予測し、次期製品としてA300の胴体短縮型の開発を決断した[16]。この派生型はA310と名付けられ1978年7月7日に正式開発が決定し、同月13日にフランス・ドイツ両政府からの事業認可を得た[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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