エアコン
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エア・コンディショナー(: air conditioner)とは、空調設備の一つで、室内の空気温度湿度などを調整する機械である。日本での通称はエアコン(以下「エアコン」と表記)。

狭義では、パッケージ・エア・コンディショナーや家庭用のルーム・エア・コンディショナーのうち、以外の熱媒体でを搬送する装置、つまりヒートポンプを指す。なお、「エアコン」は「エアー・コンディショニング」または「エアー・コンディション」の略として使用される場合もある。

また、日本語で「クーラー」というとエアコンの冷房用での使用や冷房専用タイプを指すことが多いが、英語の「Cooler」は主としてクーラーボックスを意味する。

日本語の「エアコン」は冷房暖房が出来るヒートポンプ式の空調設備を示すが、英語で「air conditioner」や「Air conditioning」というとヒートポンプなど技術的な意味を問わず、冷房、冷房機など冷房専用タイプを含む意味である。英語で日本語の「エアコン」に相当する単語、熟語は無く、相当する製品は「heating and air conditioning system」(暖房と冷房システム)や「Cool & Heat」と呼ばれ販売されている。

日本では、上記の狭義で説明されているヒートポンプ式の空調機器を「エアコンディショナー」として家庭用品品質表示法の適用対象としており、電気機械器具品質表示規程に定めがある[1]
歴史

1758年ベンジャミン・フランクリンジョン・ハドリーは、蒸発の原理(蒸発熱)を使って物体を急速に冷却する実験を行った。フランクリンとハドリーはアルコールなどの揮発性の高い液体の蒸発を試し、エーテルを使うと物体を氷点下にまで冷却できることを発見した。実験では水銀柱式温度計の球部を冷却対象とし、蒸発を早めるためにふいごを使った。周囲の気温が65 °F (18 °C)の状態で、温度計の球部を 7 °F(?14 ℃)にまで冷却することができた。フランクリンは、温度が氷点下になると間もなく温度計の球部表面に薄くが張ったことに気づいた。そして 7 °F(?14 ℃)にまで達したとき、氷の厚さは6ミリメートル(4分の1インチ)ほどになっていた。フランクリンは「この実験で、暖かい夏の日に人間を凍死させられる可能性があることがわかった」と結論付けた[2]

1820年イギリス科学者発明家マイケル・ファラデーは、圧縮により液化したアンモニアを蒸発できるようにすると、周囲の空気を冷却できることを発見した。1842年アメリカ合衆国(アメリカ)フロリダ州の医師ジョン・ゴリーは圧縮冷凍技術を使って氷を作り、アパラチコーラ(英語版)の彼の病院でそれを使い、患者のために病室を冷やした[3]。彼はさらにその製氷機を使って建物全体の温度を調節しようと考えた。そして、都市全体の空調を集中制御するという構想まで描いた。彼の試作品は常にうまく機能するわけではなかったが、ゴリーは製氷機の特許1851年に取得した。しかし、パトロンが死に、本格的に開発する資金を集められなかった。ゴリーの伝記を書いたビビアン・シャーロック[4]によれば、ゴリーは製氷で財を成したフレデリック・チューダー(英語版)が彼の発明を誹謗するキャンペーンを行ったと疑い、チューダーを非難した。ゴリーは貧困の中で1855年に亡くなり、その空調のアイディアは約50年間顧みられることはなかった。

空気調和の初期の商業利用は、個人の快適さのためではなく、工業で必要とされる冷気を生み出すために使われた。最初の電気式エア・コンディショナーは1902年、アメリカニューヨーク州シラキュースウィリス・キャリアが発明した。印刷工場の製造工程を改善するために設計されており、温度だけでなく湿度も制御できるようになっていた。温度と湿度を低く保つことで、紙の状態が一定となり、インクの付き方が一定になる。その後もキャリアの技術は様々な仕事場の生産性向上に応用され、増大する需要に応えるために The Carrier Air Conditioning Company of America(キヤリア社)を創設した。その後、エア・コンディショナーは住宅自動車で室内の快適さを向上させる手段として使われるようになっていった。アメリカでは1950年代に家庭用エア・コンディショナーが爆発的に売れるようになった。

1906年、アメリカのスチュアート・W・クラマー(英語版)は、自身の経営する織物工場内に湿気を追加する方法を探していた。クラマーは同年出願した特許で初めて「エア・コンディショニング(空気調和)」という言葉を使った。これは、織物製造工程として当時よく行われていた水調和(: water conditioning)を真似て名付けたものだった。彼は加湿と換気を組み合わせて工場内の湿度を制御し、織物工場に最適な湿度を実現した。ウィリス・キャリアはこの用語を採用し、社名にも組み込んだ。水分を空気中に蒸発させるこの方式には冷却効果があり、現在ではミスト散布として知られている。

初期のエア・コンディショナーや冷蔵庫は、アンモニアクロロメタンプロパンといった有毒または可燃性のガスを使用しており、それらが漏れ出すと死亡事故に繋がる危険性があった。トマス・ミジリーは世界初のフロン類であるフレオンを1928年に開発した。この冷媒は人間には安全だったが、後になって、太陽光に含まれる紫外線を吸収して、オゾン層を損傷させることがわかった。「フレオン」はデュポン社の商標であり、実際はクロロフルオロカーボン(CFC)、ハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)、ハイドロフルオロカーボン(HFC)といった物質で、商品名(R-11, R-12, R-22, R-134a)には分子構成を示す数が付けられている。住宅などの空調によく使われたものはR-22という商品名のHCFCである。これは2010年までに新製品には使われなくなり、2020年以降に完全に製造されなくなる予定である。アメリカでは自動車のエア・コンディショナーのほとんどがR-12を使っていたが、1994年にR-134aに切り替えられた。R-11とR-12はアメリカ合衆国内では既に生産されておらず、廃棄されたエア・コンディショナーから回収したガスをきれいにしたものが売られているだけとなっている。オゾン層に影響しないいくつかの冷媒が代替フロンとして開発されており、例えばR-410Aはブランド名「プロン」[5]で販売されている。オゾン層に悪影響を与える主な冷媒はR-11、R-22、R-123である。ただし、R-410A冷媒などの代替フロンは強力な温室効果ガスでもあったフロン類ほどではないものの、やはり地球温暖化係数が高いため、これに代わる次世代冷媒の開発が行われている。

第二次世界大戦後、エアコンの開発・生産と利用は世界的に広がった。室外機と分離することで住宅の壁に掛けられるほど薄型・軽量化されたエアコンが1968年昭和43年)に日本で発売され(三菱電機)、国立科学博物館重要科学技術史資料(未来技術遺産)の一つに2018年選定されている[6]

熱帯亜熱帯の国々の経済成長や、日本などにおける場の仕事・生活の環境改善は、エアコンによる冷房の普及があったからこそという評価もある[7]赤道近くにあるシンガポールの元首相リー・クアンユーは「東南アジア諸国にとって、エアコンは20世紀最大の発明」と語ったことがある[8]。一方、欧州各国の中には夏場に高温となる地域があるにもかかわらず、家庭における普及率は低迷しており、2017年時点で5 %と推測する報告書もある[9]。イギリスでは2022年時点でも多くの学校には冷房が無い[10]

空気調和テクノロジーにおける技術革新は続き、近年ではエネルギー効率と屋内の空気質の改善が中心テーマとなっている。


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