ウーニェチツェ文化(ウーニェチツェぶんか、英語:Un?tice culture)は紀元前2300年から紀元前1600年にかけての中央ヨーロッパの青銅器時代の考古文化。
名称はプラハの北東郊外にこの文化の遺跡があるウーニェチツェ地区から採られた。中核部はチェコ、ドイツ中部と南部、ポーランド西部と中部に広がっている。 ウーニェチツェ文化は、先行する縄目文土器文化にとって代わって広がった。その後西部と東部では異なる発展段階を辿ることになる:
特徴
西部群はドイツ南部、チェコ西南部、オーストリア東北部の一帯に重心がある。そのうち特に(4), (5), (6a), (6b), (7), (8), (11)にあたる西部と南部の諸地方文化は鐘状ビーカー文化(ビーカー文化)の各地の文化や南方の諸文化と広く交易を行ない、墳墓文化の段階を経て、骨壺墓地文化に移行し、骨壺墓地文化の西部群の複数の地方文化を形成していく。
東部群はポーランド西南部および中部に重心がある。西部群から見るとベスキディ山脈
この文化は、パウル・ライネッケ(en:Paul Reinecke)の年代区分では青銅器時代A1とA2に相当する:
A1:2300-1950 BC:三角ダガー、平斧、石製のリストガード(en:stone wrist-guards)、フリント製の鏃
A2:1950-1700 BC:金属製の柄の付いたダガー、フランジ付き斧(フランジ斧)、ハルバード、球形の頭部に穿孔のある針類、堅固なブレスレット
これらの区分年代は主にジンゲン集団墓地(放射性炭素年代測定)、およびレウビンゲン墓地とヘルムスドルフ墓地(年輪年代測定)での調査による。
マリヤ・ギンブタスによると、この文化の墓地遺跡にはバルト海産の琥珀が高い割合で埋められているという。 ウーニェチツェ文化の遺跡はチェニェク・リューズネル
研究の歴史
金属製品ネブラ・ディスク
この文化には、特徴的な様々な金属製品がある。たとえば鋳物のトルク、平斧、平たい三角ダガー、両端がらせん状のブレスレット、板状の頭部をもつ針類、ロックリング(en:lock ring)などがあり、これらの製品は中央ヨーロッパの広い範囲、およびその外へと流通していた。
大量に貯めこまれたインゴットが発掘されており、ときには600個ものインゴットが一度に見つかることがある。たくさんの斧を貯蔵していることも多く、ザクセン=アンハルト州のディースカウでは293本ものフランジ斧が蓄えられていた。おそらくこれらの斧は道具としてのほかにインゴットとしても用いられていたと考えられる。インゴットを蓄える慣習はだいたい紀元前2000年より後の時代になると廃れていき、骨壺墓地文化の時代に再び行われるようになる。これらは旅回りの青銅鋳物師たち、あるいは襲撃を恐れて自らの富を隠していた富裕層が貯蔵していたものであると理解されている。現代でも、武器というものは敵の目につかない地下などに収納しておくものであり、また当時は斧というのは主要な武器であったのであるから、自然なことと思われる。装身具を貯めておく習慣はアドレルベルク群において顕著。
考古学上の証拠品から、ウーニェチツェ文化の金属工業は活発で創造的であったものの、どれも支配層のステイタスシンボルとしての武器や装飾品に関わるものばかりであり、後代になってよく見つかるようになる家庭や大がかりな軍事の場面で使う品々はあまりない。ドイツのホフハイムとタウヌスの間にあるアドレルベルク集団墓地では、矢で射られて死亡した男性の腕から石製の鏃が見つかっている。
有名なネブラ・ディスクは、ウーニェチツェ文化のものとされる。この文化に特徴的な銅製のダガーが、この円盤とともに複数発見されたことによる。 おもに平らな墓所への土葬で、遺体は腕と脚を折り曲げ、横向きに寝ており、体の向きは南―北かあるいは北東―南西の方向になっている。男女が埋葬されている場合は、男性は左側、女性は右側に埋葬されている。 中空に彫られた木の幹が棺として使用されている地域がある。石のケアンが見つかることがあり、この習慣はプラハ郊外のウーニェチツェ(Un?tice
埋葬
ドイツでのこの文化での最大の集団墓地はジンゲン(Singen)にあり、96もの墓所が見つかっている。ネッカー群のレムセック・アルディンゲン集団墓地(Remseck-Aldingen graveyard)には34の墓所がある。
ポーランドのウェンキ・マウェ(??ki Ma?e)やドイツの レウビンゲン(Leubingen)およびヘルムスドルフ(Helmsdorf)で見つかった14か所のクルガン墳墓は紀元前2000年から紀元前1800年にかけて作られたものであるが、これらは君主たちのものと思われ、すでにそこには階層化した社会構造が存在したことを示唆している。レウビンゲン墳墓のクルガンは現在でも8.5メートルもの高さがある。内部にはテントのような形をした木造の部屋が建てられており、2つの墓所と、金製の副葬品があった。 ウーニェチツェ文化の交易相手の文化のなかには、ストーンヘンジで有名なイギリスの先史時代社会(Wessex culture
交易
このように周辺各地との人的交流は盛んで、最近ではスウェーデンのスコーネ地方から来たと思われる男性の遺骨がポーランドのヴロツワフ市で見つかっている。この「スウェーデン人」男性は、滞在していたこの土地で地元の「ポーランド人」女性2人に同時に手を出したことが村人たちに発覚して捕えられ、女性たちと共に処刑されたものと推定される。 ⇒[1] いわゆる高床住居(pile dwellings、古代日本の高床倉庫などの高床建物と同じ構造)が見られることがある。フェーデルゼー湖
住居