ウージニー・ブシャール
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ウージニー・ブシャール
Eugenie Bouchard


ウージニー・ブシャール
基本情報
愛称Genie (ジニー)
国籍 カナダ
出身地同・ウエストマウント
居住地同・モントリオール
生年月日 (1994-02-25) 1994年2月25日(25歳)
身長178cm
体重61kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年2009年
ツアー通算2勝
シングルス1勝
ダブルス1勝
生涯獲得賞金6,360,837 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト4(2014)
全仏ベスト4(2014)
全英準優勝(2014)
全米4回戦(2014・15)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪3回戦(2014)
全英3回戦(2013)
全米2回戦(2015)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏1回戦(2015)
全英1回戦(2013)
全米2回戦(2015)
キャリア自己最高ランキング
シングルス5位(2014年10月20日)
ダブルス103位(2013年8月12日)
2019年1月21日現在■テンプレート  ■プロジェクト テニス

ウージニー・ブシャール(Eugenie Bouchard, 1994年2月25日 - )は、カナダケベック州ウエストマウント出身の女子プロテニス選手。2014年ウィンブルドン女子シングルスの準優勝者である。これまでにWTAツアーでシングルス1勝、ダブルス1勝を挙げている。身長178cm、体重61kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAランキング最高位はシングルス5位、ダブルス103位。
目次

1 来歴

1.1 2013年:年間最優秀新人賞

1.2 2014年:ウィンブルドン準優勝、世界ランキング5位

1.3 2015年:極度の不振、転倒事故

1.4 2016年


2 WTAツアー決勝進出結果

2.1 シングルス: 6回 (1勝5敗)

2.2 ダブルス: 4回 (1勝3敗)


3 4大大会シングルス成績

4 脚注

5 外部リンク

来歴

5歳からテニスを始める。2012年ウィンブルドン選手権ジュニアシングルスとダブルスで優勝した。
2013年:年間最優秀新人賞

2013年から本格的にプロ大会に出場を始めるようになり、4月のファミリー・サークル・カップでは予選から勝ち上がりベスト8に進出した。

全仏オープン4大大会に初出場し、1回戦でツベタナ・ピロンコバを 6-1, 7-6 (7) で破り初戦を突破し2回戦で第2シードのマリア・シャラポワに 2-6, 4-6 で敗れた。ウィンブルドンでは2回戦で第12シードのアナ・イバノビッチを 6-3, 6-3 で破る殊勲を挙げ3回戦に進出した[1]。8月のシティ・オープンではダブルスで初めて決勝決勝に進出し準優勝した。全米オープンでは2回戦でアンゲリク・ケルバーに 4-6, 6-2, 3-6 で敗れた。

9月の東レ・パンパシフィック・オープンは3回戦でエレナ・ヤンコビッチを 7-5, 6-2 で破り大会初出場でベスト8に進出した[2]。10月のHPオープンではツアー初のシングルス決勝に進出した。決勝でサマンサ・ストーサーに 6-3, 5-7, 2-6 で敗れ準優勝となった。ブシャールは2013年のWTAアワードの年間最優秀新人賞を受賞した。
2014年:ウィンブルドン準優勝、世界ランキング5位

2014年全豪オープンでは第30シードとなり4大大会で初めてシード選手となった。4回戦でケーシー・デラクアを 6-7(5), 6-2, 6-0 で破りベスト8に進出した。準々決勝ではアナ・イバノビッチを 5-7, 7-5, 6-2 で破りベスト4に進出した[3]。カナダ女子選手が4大大会のベスト4に進出したのは1984年全米オープンでベスト4に進出したカーリン・バセット以来30年ぶりの快挙であった。準決勝では優勝した李娜に 2-6, 4-6 で敗れた。

5月のニュルンベルク・カップで2度目のツアーシングルスの決勝に進出した。決勝でカロリナ・プリスコバを 6?2, 4?6, 6?3 で破りツアー初優勝を果たした[4]全仏オープンでは全豪に続きベスト4に進出した。準決勝では優勝したマリア・シャラポワに 6-4, 5-7, 2-6 で敗れた[5]

ウィンブルドンでは準決勝でシモナ・ハレプを 7-6(5), 6-2 で破り、カナダ女子選手として初めて決勝に進出した。決勝ではペトラ・クビトバに 3?6, 0?6 で完敗し準優勝者となった[6]。大会後のランキングでは7位となりトップ10入りを果たしている。その後も勢いは衰えず、10月20日のランキングでは自己最高の5位を記録し、2014年WTAアワードの最も上達した選手賞を受賞した。
2015年:極度の不振、転倒事故

2015年は一転して極度の不振に陥り、全仏オープンウィンブルドンで続けて1回戦敗退を喫する。全米オープンでは4回戦まで勝ち進むも、ニック・キリオスとペアを組んで出場した混合ダブルス1回戦終了後に、ロッカールームで足を滑らせて転倒し頭部を強打、外傷だけでなく脳震盪を発症しシングルス4回戦とダブルス2回戦、混合ダブルス2回戦は棄権に追い込まれる。その後も脳震盪の後遺症に悩まされ、チャイナ・オープンで復帰するも1回戦で途中棄権し再び離脱。そのままシーズン終了を余儀なくされた為、責任を巡り全米テニス協会を訴えた[7]。ランキングも49位まで急降下し、散々な1年となってしまった。


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