この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "ウル第三王朝"
メソポタミア
シュメール
ウバイド文化5300 BC
ウルク文化4000 BC
ウル
ウルク
ラガシュ
アッカド帝国c.2334 BC-c.2050 BC
ウル第三王朝22C BC-2004 BC
イシン・ラルサ時代c.2004 BC-c.1750 BC
バビロニア1894 BC-625 BC
• バビロン第1王朝1894 BC-1595 BC
• 海の国第1王朝c.1732 BC-c.1475 BC
• カッシート王朝c.1475 BC-1155 BC
• イシン第2王朝c.1157 BC-1025 BC
ヒッタイト1595 BC-c.1200 BC
ミタンニc.1500 BC-1330 BC
アッシリア1365 BC-625 BC
新バビロニア625 BC-539 BC
アケメネス朝539 BC-330 BC
アレクサンドロス大王330 BC-323 BC
セレウコス朝312 BC-2C BC
パルティアc.248 BC-226
サーサーン朝226-651
中世
正統カリフ時代637-661
ウマイヤ朝661-750
アッバース朝750-945
ブワイフ朝946-1055
後ウマイヤ朝756-1031
セルジューク朝1038-1194
• イラク・セルジューク朝1118-1194
ホラズム・シャー朝1197-1231
イルハン朝1258-1411
ジャライル朝1340-1432
ティムール朝c.1390-1411
黒羊朝1375-1468
白羊朝1378-1508
サファヴィー朝1501-1534
近世
オスマン帝国1534-1918
近代
サイクス・ピコ協定1916
イギリス委任統治領メソポタミア1920-1932
イラク王国1932-1958
現代
アラブ連邦1958
7月14日革命1958
イラク共和国1958-現在
ラマダーン革命1963
第1次バアス党政権1963
1963年11月クーデター1963
第2次バアス党政権1968-2003
イラン・イラク戦争1980-1988
湾岸戦争1991
イラク戦争2003-2011
連合国暫定当局2003-2004
イラク統治評議会2003-2004
イラク暫定政権2004-2005
イラク移行政府2005-2006
イラク正式政府2006
イラク ポータル
表 · 話 · 編
ウル第三王朝(ウルだい3おうちょう、3rd dynasty of Ur)は、紀元前22世紀から紀元前21世紀にかけてメソポタミアを支配した王朝。
ウルの軍事司令官であったウル・ナンムが自立して、前22世紀末にウル第三王朝が建てられた。建国者のウル・ナンムは、神殿の建築や運河の建設などを行うと共にウル・ナンム法典と称される法典を定めた。この法典は、のちに古バビロニア王国でまとめられるハンムラビ法典に影響を与えたと考えられる。第2代シュルギの時代までに行政機構が確立し、王権の神格化も進んでいった。
しかし、まもなくこの王朝はアムル人やエラム人の侵入に苦慮することとなった。シュルギ王やのちのシュ・シン王は、彼らの侵入を防ぐために防壁を設けた。
紀元前2004年(または紀元前1940年)、シュ・シンの息子であるイビ・シン王の時代にエラムが侵攻するとウルは陥落。エラム人によって王ははるか東方へ連行され、これをもってウル第三王朝は滅亡した。 都市国家バビロンはアムル人の影響下に置かれ、紀元前1830年にバビロン第1王朝が誕生し、紀元前18世紀に第6代の王ハンムラビがメソポタミアを再び統一した。一方、アッシュールは、紀元前1813年にアムル人のシャムシ・アダド1世が古アッシリア王国のエリシュム2世を破って新王に即位したが、ヒッタイトの台頭に押された。中アッシリア王国の時代には、当初はフルリ人のミタンニ王国勢力圏下に置かれたが、アッシュール・ウバリト1世の治世にミタンニ王国の影響下を脱すると、バビロニアを征服して古代オリエントの一大勢力となった。
その後
歴代君主
ウル・ナンム(前2113頃 - 前2096頃)
シュルギ(前2095頃 - 前2048頃)
アマル・シン(前2047頃 - 前2038頃)
シュ・シン(前2037頃 - 前2030頃)
イビ・シン(前2029頃 - 前2006頃)
関連項目
エ・テメン・ニグル
更新日時:2020年3月29日(日)12:55
取得日時:2021/06/01 19:34