ウルリッヒ・ミューエ
Ulrich Muhe
ウルリッヒ・ミューエ(2005年12月5日)
生年月日 (1953-06-20) 1953年6月20日
没年月日 (2007-07-22) 2007年7月22日(54歳没)
出生地 東ドイツ
ドレスデン県
グリンマ
受賞
ヨーロッパ映画賞
男優賞
2006年『善き人のためのソナタ』
その他の賞
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ウルリッヒ・ミューエ(Ulrich Muhe, 1953年6月20日 - 2007年7月22日)は、ドイツの俳優。日本では、2007年アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『善き人のためのソナタ』で知られる。
経歴(ドイツ語版)に、革職人の息子として生まれる。兄が工房を継いだのに対し、彼は建設関係の専門学校に進む。兵役でドイツ国家人民軍に入隊しベルリンの壁の国境警備兵をしていた[1]が、胃潰瘍にかかり早期除隊した[2]。1975年から4年間、ライプツィヒの演劇高等専門学校で学ぶ[3]。卒業後はカール=マルクス=シュタットの市立劇場に所属するが、1982年に勧誘を受けて東ベルリンの国民劇場に所属。1983年にはベルリン・ドイツ劇場の団員となり、ゲーテの『エグモント』やレッシングの『フィロータス』、シェイクスピアの『ハムレット』などの舞台に出演。劇団の看板役者になった。反政府デモで演説台に登壇したミューエ(1989年11月4日)
旧東ドイツ時代には、シュタージの監視下におかれており、当時の妻であった女優イェニー・グレルマンがミューエの行動を監視し密告していたと言われている(グレルマン本人はこれを否定)。1989年、東ドイツの共産主義支配体制が動揺すると、街頭に出て反政府デモを指導。さらには当局により上演禁止されていた作品を演じた。1990年の東西ドイツ統一後は国外にも進出し、ザルツブルク音楽祭やウィーンの舞台に立った。
映画初出演は1983年。1989年以降は西側にも知られるようになり、ミヒャエル・ハネケ監督の『カフカの「城」』や『ファニーゲーム』に出演。2000年にはテレビ映画でヨーゼフ・ゲッベルスを、2002年の『Amen』ではユダヤ人絶滅を忠実に実行するナチス将校を演じ注目された。2003年には篠田正浩監督の『スパイ・ゾルゲ』で駐日ドイツ大使のオイゲン・オットを演じた。そして2006年には『善き人のためのソナタ』でシュタージの大尉を演じ、数々の賞を獲得。
世界的な知名度を獲得した矢先、兵役時代の胃潰瘍手術が遠因となって胃癌を発症、アカデミー賞授賞式出席の直後に手術を受け、旧東西ドイツ国境にほど近い町ヴァルベック(Walbeck)で静養していたが、癌であることをマスコミに公表した翌日、54歳で急逝した。妻ズザンネ・ロタールと共演した『Nemesis』が遺作となった。ヴァルベックに埋葬された。 最初の妻である舞台演出家アンネグレット・ハーン
家族
2006年、映画『善き人のためのソナタ』の関連本に収録されたインタビューの中で、映画のストーリーと同様に、旧東ドイツ時代に元妻のグレルマンがシュタージの非公式協力者で「HA II/13」というコードネームのシュタージ職員と接触しており、自分は妻に監視されていたと彼は告白した[4]。これに対しグレルマンは、自分が気付かないうちに非公式協力者として情報源にされており、結果的にシュタージに協力した形になっただけだったと反論、この本の出版差し止めをベルリン地方裁判所に申し立てた。裁判所はこの申し立てを認めて本の出版を差し止める[1]とともに、ミューエの控訴を退け、ミューエに対して今後彼女をシュタージの元非公式協力員呼ばわりすることを禁止した。