ウルトラマン訴訟
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ウルトラマン訴訟(ウルトラマンそしょう)とは、日本円谷プロダクションタイチャイヨー・プロダクションソムポート・セーンドゥアンチャーイ社長)との間における、特撮ドラマウルトラシリーズ」の日本国外における独占権に関する一連の訴訟。

円谷プロやチャイヨーの現地法人やそこからライセンスを受けた関連会社の他、チャイヨーから権利を買い取ったバンダイや、譲り受けたユーエム社、ユーエム社の中国代理店であるTIGAや、TIGAからライセンスを受けたという広州藍弧文化伝播(ブルーアーク)、ブルーアークが制作した映画の配給会社など、多数の企業や人員を巻き込み、およそ25年弱にわたる一大訴訟となった。

日本の最高裁判所における判決では円谷プロ側の敗訴となったが、それ以外の国においては事実上、2020年時点で円谷プロ側の完全勝訴となっている。そもそも、日本国外における権利に関する争いであるため、日本国内における判決は実質的な効力が無く意味をなさない。
概要

1995年12月、チャイヨー・プロダクションは「1976年から日本以外で『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』までのウルトラシリーズ6作品および『ジャンボーグA』の計7作品と、そのキャラクターを商用目的で利用する権利を持つ」と主張し始めた。

日本の裁判では2004年時点でチャイヨーの主張が認められるも、タイ国では2008年時点で上記の7作品と『ジャンボーグA&ジャイアント』と『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』の計9作品の著作権は否定された[1]

チャイヨーは2008年12月24日に上記の9作品の海外利用権を日本のユーエム社(上松盛明社長)[2] に譲渡[3] しており、訴訟もそちらに受け継がれている[4]。ただし、1998年にチャイヨープロからバンダイへ利用権行使の権利が売却されていたことが2011年に発覚している[5]

裁判の結果、後述の#2020年時点の権利に書かれている通り、2020年時点においてユーエム社は中華人民共和国[6] およびアメリカ合衆国[7] における海外利用権については主張を実質的に取り下げており、円谷プロ側はこれをもって全面勝訴と判断している。
訴訟までの経緯

チャイヨー・プロダクションは、円谷プロダクションとは1974年にはウルトラシリーズのキャラクターを用いた映画『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』の合作をするなど良好な関係にあったが、3代目社長円谷皐が死去した半年後の1995年末頃より「ウルトラマンの権利は当社(チャイヨー)の所有。契約書も存在する」と主張し始める。それに対し、円谷プロ側は当初チャイヨー側の言い分を鵜呑みにして契約書の存在を認めたが、その後、詳細に調査・検証した結果、「契約書は偽造」と判明し、裁判となった。
チャイヨー・プロダクション側の主張

「この映画の配給権が1975年香港に12万米ドルで売れたが、資金繰りに窮していた円谷プロ側はこの12万米ドルを1年間借りたいとし、さらにその後チャイヨーに無断で円谷が台湾に配給権を8万米ドルで売却したことが発覚した。1976年3月に来日したソムポートは円谷に20万ドルの返却を要求したが、金のない円谷は20万ドルの返済の代わりに譲渡契約を提案。1976年に円谷プロの当時の社長円谷皐との間で、『ウルトラQ』から『ウルトラマンタロウ』および『ジャンボーグA』の7作品において、日本以外における独占権をチャイヨーへ譲渡する契約を結んだ。」

以上が、1995年末頃から始めたソムポートの主張であった[8]
円谷プロダクション側の対応

生前の円谷皐から権利の譲渡などの話は一切なかったにもかかわらず、当時の社長円谷一夫はチャイヨー側の言い分を鵜呑みにして契約書を認める書簡をソムポートに出し[9]、権利の買い戻しを申し出たが、彼は拒否したうえに不合理なことも主張するようになった。そのチャイヨー側の対応に不信感を持った円谷プロ経営陣は契約書を詳細に検証すると同時に、当時の会社経理簿の記載や取引銀行の入出金記録などを綿密に調査を行った結果、円谷プロ・同エンタープライズ両社の財務記録とはまったく符合しないうえ、当時在籍していた重役達と経理担当責任者もそのような金銭の流れを確認していないことが判明した。以上のことから当時の経営状態の検証も踏まえて「契約書は偽造」と確信したため、対応を改めて裁判で争うこととなった[3]。チャイヨーとの紛争は当時の新作の内容にも影響を及ぼし、1996年の『ウルトラマンティガ』は海外展開に支障を来さないよう、旧シリーズとは断絶した世界観(旧シリーズのキャラクターが登場しない)と設定された[10]
裁判前の状況

契約書を作成したとされる1976年以降もウルトラマンの商品は円谷プロとの契約により、世界各国において販売されている。タイ国内でも同様に販売されていながらも、チャイヨー側は円谷皐が亡くなった後の1995年まで、契約に関して一切の連絡をしていない。さらに円谷プロ(円谷皐)は海外での作品自体の放送契約販売も通常業務として行っており、1990年代前半には中華人民共和国でウルトラシリーズの同国初のテレビ放送を行っている(中国では1980年代後半に『恐竜戦隊コセイドン』を一部地域で放送した実績がある)。特に1993年上海魯迅公園で開催されたウルトラマンイベントの初日には、10万人以上が殺到し、安全上中止になったほどウルトラマン作品の人気は高かった。その時の様子は日本のマスコミにも紹介されたが、その際に『ウルトラセブン』が放送予定にないことを取材陣が不思議に思い、円谷プロへ質問したところ、円谷皐は「セブンはアメリカの配給会社との契約期間がまだ残っているため、現時点では当社(円谷プロ)との直接契約では放送できない。


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