ウルズラ・フォン・デア・ライエン
Ursula Gertrud von der Leyen
欧州委員会より公表された肖像
欧州連合
第13代 欧州委員会委員長
任期2019年12月1日 –
欧州理事会議長シャルル・ミシェル
内閣フォン・デア・ライエン委員会
ドイツ連邦共和国
第17代 国防大臣
任期2013年12月17日 – 2019年7月17日
内閣第3次メルケル内閣
第4次メルケル内閣
ドイツ連邦共和国
労働・社会大臣
任期2009年11月30日 – 2013年12月17日
内閣第2次メルケル内閣
ドイツ連邦共和国
家族・高齢者・婦人・青少年大臣
任期2005年11月22日 – 2009年11月30日
内閣第1次メルケル内閣
ニーダーザクセン州
社会・婦人・家族・保健大臣
任期2003年3月4日 – 2005年11月22日
出生 (1958-10-08) 1958年10月8日(65歳)
ベルギー ブリュッセルイクセル
政党ドイツキリスト教民主同盟
配偶者ハイコ・フォン・デア・ライエン
(1986年 - )
ウルズラ・ゲルトルート・フォン・デア・ライエン(独: Ursula Gertrud von der Leyen、1958年10月8日 - )は、ドイツの医師、政治家。ドイツキリスト教民主同盟(CDU)所属。欧州委員会委員長(第13代)。
ニーダーザクセン州社会・婦人・家族・保健大臣、ドイツ連邦共和国家族・高齢者・婦人・青少年大臣(第1次メルケル内閣)、CDU副党首、ドイツ連邦共和国労働・社会大臣(第2次メルケル内閣)、ドイツ連邦共和国国防大臣(第3次メルケル内閣、第4次メルケル内閣)を歴任した。 ベルギーブリュッセル首都圏地域のイクセルで生まれる。父エルンスト・アルブレヒト
来歴
生い立ち
1977年、アビトゥーアに合格し、ゲッティンゲン大学とミュンスター大学で経済学を学ぶが、1980年に中断した。1978年にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学している[2]。 1980年、ハノーファー医科大学に転じて医学を学び始め、1987年に医師国家試験に合格し、医師としてのインターンを終えた。その後母校で婦人科の助手を務める。1991年に医学博士号を取得[3]。 1986年に医学教授で経営者でもあるハイコ・フォン・デア・ライエン
医師
フォン・デア・ライエンは現在、ニーダーザクセン州ハノーファー広域連合に含まれるバインホルンに居住している。フォン・デア・ライエンと家族はハノーファー福音ルター派州教会に属している。 1990年、キリスト教民主同盟(CDU)に入党。1996年から1997年まで、CDUニーダーザクセン支部の社会政策委員会委員を務める。続いて、CDUニーダーザクセン支部医師会に属した。2001年から2004年までゼーンデ市議会議員に選出され、CDU 議員団長を務める。同時期、ハノーファー郡議会議員を務め、議会の保健・病院委員会会長を務めた[2]。 2003年3月、ニーダーザクセン州首相クリスティアン・ヴルフ内閣に社会・婦人・家族・健康相として入閣した。在任中、強い抗議にもかかわらず失明者に対する補助金を廃止して批判を浴びた。2003年より2005年までニーダーザクセン州議会議員を務める。2004年12月のCDU党大会では、予想に反してCDU執行部員に選出された。2005年2月よりCDUの「両親・子供・仕事」委員会の委員長を務める。 2005年8月、CDU党首アンゲラ・メルケルの2005年ドイツ連邦議会選挙の選挙対策チームに家族・保健政策担当として招聘された。選挙後の2005年11月、第1次メルケル内閣に家族・高齢者・女性・青少年相として入閣する。 2007年1月、従来の養育補助金制度を廃止して子供手当制度を導入した。 同年、保育所の大増設を提案したため、あるべき家族の姿をめぐって論争を巻き起こすことになった。保育所増設の主張に対して、キリスト教社会同盟(CSU)を中心とする与党から「伝統的家族観を捨て去ったもので、従来の支持層が離反する」と批判が巻き起こったのに対し、首相メルケルをはじめとする党執行部や連立相手のドイツ社会民主党(SPD)[5]、野党同盟90/緑の党、左翼党[6]からは支持の声が出るなど、議論は錯綜した。
地方の政界入り
家族・高齢者・女性・青少年大臣インタビューに答えるフォン・デア・ライエン(2006年)
子供手当制度導入
保育所増設をめぐる論争
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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