ウルスラ・アンドレス
Ursula Andress
(1974年撮影)
生年月日 (1936-03-19) 1936年3月19日(88歳)
出生地 スイス・ベルン
ジャンル映画女優
活動期間1954年 -
配偶者ジョン・デレク(1957年 - 1966年)
主な作品
『007 ドクター・ノオ』
『007/カジノ・ロワイヤル』
『レッド・サン』
『タイタンの戦い』
受賞
1964年度ゴールデングローブ賞
新人賞(007 ドクター・ノオ)
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ウルスラ・アンドレス(Ursula Andress, 1936年3月19日 - )は、スイスのベルン出身の映画女優。映画007シリーズの初代ボンドガール。
以前は、英語式にアーシュラ・アンドレスと表記されていたが、現在はほぼドイツ語式に「ウルスラ・アンドレス」で統一されている。 外交官の父ロルフ・アンドレス、母アンナはともにドイツ人。5人の姉弟がある。16歳の時、美術留学生としてパリへ渡る。翌年、ローマへの旅行中に映画関係者にスカウトされ、1954年の『Le Avventure Di Giacomo Casanova 』でデビュー。 イタリアで何本かの低予算映画に出演した後、ハリウッドへ招かれたが、当初は英語が不自由でしばらくは役がつかないまま、1957年に俳優のジョン・デレクと結婚した。 グラマーなスタイルと美貌を買われ、彼女の声のみ吹き替えで1962年に『007 ドクター・ノオ』の初代ボンドガールのハニー・ライダー役に抜擢されてから人気が出た[1]。1964年度の「Most Promising Newcomer - Female Golden Globe」に選ばれ、『PLAYBOY』誌でヌードになるなど、セックス・シンボルとしての地位を確立した。 1965年に『カトマンズの男』で共演したジャン=ポール・ベルモンドと恋仲になり、1966年にはジョン・デレクと離婚。その後もドイツ語、イタリア語、フランス語、英語の4カ国後を操る語学力を活かして、ハリウッドのみならずヨーロッパ映画にも多数出演している。 1980年の『タイタンの戦い』で共演したハリー・ハムリンとの間に1982年に未婚のまま男児ディミトリを生む。イタリアに在住していた。2008年、自分が骨粗鬆症であることを公表した[2]。 男優とのロマンスも多く、前述のジョン・デレク、ハリー・ハムリン、ジャン=ポール・ベルモンド以外にも、ジェームズ・ディーン(1955年ごろ)、ライアン・オニールらと浮名を流した。なお、バイセクシュアルのヘルムート・バーガーは友人である。 公開年邦題 放映年邦題
略歴
主な出演作品
映画
原題役名備考
1962007 ドクター・ノオ
Dr. Noハニー・ライダー初公開時の題名は『007は殺しの番号』
1963アカプルコの海
Fun in Acapulcoマルゲリータ・ドーフィン
テキサスの四人
4 for Texasマクシーン・リクター
1965炎の女
Sheアイーシャ
何かいいことないか子猫チャン
What's New Pussycat?リタ
カトマンズの男
Up to His Earsアレクサンドリーヌ・ピナルディ
華麗なる殺人
The 10th Victimキャロライン・メレディス
1966ブルー・マックス
The Blue Maxカエティ伯爵夫人
1967007 カジノロワイヤル
Casino Royaleヴェスパー・リンド(007)
セックス・パニック/愛欲のイタリア女族物語
Le dolci signoreアナ・デル・モンテ日本劇場未公開
1969サファリ大追跡
The Southern Starエリカ・クレイマー
1970女豹の罠
Perfect Fridayブリット・ドーセット日本劇場未公開
1971レッド・サン
Red Sunクリスチーナ
1975アフリカ特急
Africa Expressマデリーン・クーパー日本劇場未公開
1976サファリ特急
Safari Expressミリアム日本劇場未公開
1978ホウリー・マウンテンの秘宝/密林美女の謝肉祭
La montagna del dio cannibaleスーザン・スティーヴンソン日本劇場未公開
ビデオ題『食人伝説』
1979ピンクのルージュ
Letti selvaggiThe Stroller/The Widow日本劇場未公開
1981タイタンの戦い
Clash of the Titansアフロディーテ
1989チャイナタウン殺人事件
Man Against the Mob: The Chinatown Murdersベティ・スターテレビ映画
テレビ
原題役名備考
1962スリラー
Thrillerルアナシーズン2 第17話 "La Strega"
1983ラブ・ボート
The Love Boatキャロル・スタントン2エピソード
1986ロマノフ王朝・大帝ピョートルの生涯
Peter the Greatアタリミニシリーズ
参照[脚注の使い方]^ ⇒“Dr No bikini for sale”. ⇒http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/1113839.stm 2020年5月9日閲覧。
^ Elkins, Lucy (2008年10月21日). ⇒“'My bones are like glass': Why Bond Girl Ursula Andress blames herself for becoming ravaged by osteoporosis” (英語). Mail Online. ⇒http://www.dailymail.co.uk/health/article-1079213/My-bones-like-glass-Why-Bond-Girl-Ursula-Andress-blames-ravaged-osteoporosis.html 2009年7月5日閲覧。
関連項目
ショーン・コネリー
外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ウルスラ・アンドレスに関連するメディアがあります。
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