ウルシヌス_(対立教皇)
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ウルシヌス(生没年不詳)は、第37代ローマ教皇であるダマスス1世対立教皇である(在位:366年 - 367年)。
生涯

第36代教皇であったリベリウスに仕え、助祭を務めていた。366年にリベリウスが死去すると、教皇選挙が行なわれてダマスス1世が選出された。しかしダマスス1世はウルシヌスの存在を恐れ、彼を支持する一派の虐殺を行なった。ダマスス1世はウルシヌス一派を徹底的に粛清し、ウルシヌスはローマ、次いでケルンにまで追放されたという。

384年にダマスス1世が死去すると教皇選挙に立候補するも、相手にされなかった上にシリキウスに敗れ、そのシリキウスによってウルシヌスとその一派は再びローマを追放されたという。
参考文献










対立教皇
古代

ヒッポリュトス217-235(教皇 カリストゥス1世

ノウァティアヌス251-258(教皇 コルネリウス

フェリクス2世355-365(教皇 リベリウス

ウルシヌス366-367(教皇 ダマスス1世

エウラリウス418-419(教皇 ボニファティウス1世)

中世

ラウレンティウス498-499、501-506(教皇 シンマクス

ディオスクルス530(教皇 ボニファティウス2世

テオドルス687(教皇 セルギウス1世

パスカリス687(教皇 セルギウス1世)

コンスタンティヌス2世767-768(教皇 ステファヌス3世

フィリップス768(教皇 ステファヌス3世)

ヨハネス8世844(教皇 セルギウス2世

アナスタシウス3世ビブリオテカリウス855(教皇 ベネディクトゥス3世

クリストフォルス903-904(教皇 レオ5世

ボニファティウス7世974、984-985(教皇 ベネディクトゥス7世

ヨハネス16世997-998(教皇 グレゴリウス5世)

グレゴリウス6世1012(教皇 ベネディクトゥス8世

ベネディクトゥス10世1058-1059(教皇 ニコラウス2世

ホノリウス2世1061-1064(教皇 アレクサンデル2世

クレメンス3世1080、1084-1100(教皇 グレゴリウス7世

テオドリクス1100-1101(教皇 パスカリス2世

アルベルトゥス1101(教皇 パスカリス2世)

シルウェステル4世1105-1111(教皇 パスカリス2世)

グレゴリウス8世1012(教皇 ゲラシウス2世

ケレスティヌス2世1124(教皇 ホノリウス2世

アナクレトゥス2世1130-1138(教皇 インノケンティウス2世

ウィクトル4世(先代)1138(教皇 インノケンティウス2世)

ウィクトル4世(後代)1159-1164(教皇 アレクサンデル3世

パスカリス3世1164-1168(教皇 アレクサンデル3世)

カリストゥス3世1168-1178(教皇 アレクサンデル3世)

インノケンティウス3世1179-1180(教皇 アレクサンデル3世)

ニコラウス5世1326-1330(教皇 ヨハネス22世

クレメンス7世1378-1394(教皇 ウルバヌス6世

ベネディクトゥス13世1394-1423(教皇 ボニファティウス9世

アレクサンデル5世1409-1410(教皇 グレゴリウス12世


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