ウリ・シュティーリケ
[Wikipedia|▼Menu]

ウリ・シュティーリケ

2014年のシュティーリケ
名前
本名ウルリッヒ・シュティーリケ
Ulrich Stielike
愛称テウトネス (teutonischen Panzer[1])
エル・タンケ (El tanque[2])
エル・パンセル (El panzer[3][4])
ラテン文字Uli Stielike
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1954-11-15) 1954年11月15日(69歳)
出身地ケッチュ
身長176cm
選手情報
ポジションMF/DF
ユース
1960-1973 SpVgg 06 ケッチュ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1973-1977 ボルシアMG 109 (12)
1977-1985 レアル・マドリード 215 (41)
1985-1988 ヌーシャテル・ザマックス 66 (10)
通算390 (53)
代表歴
1972-1973 西ドイツ ユース16 (0)
1973-1975 西ドイツ アマチュア10 (3)
1975-1984[5] 西ドイツ42 (3)
監督歴
1989-1991 スイス代表
1992-1994 ヌーシャテル・ザマックス
1994-1995 ヴァルトホーフ・マンハイム
1996 UDアルメリア
1998-2000 ドイツ代表(アシスタント)
2001 ドイツU-20代表
2003?2004 ドイツU-21代表
2004?2005 ドイツU-19代表
2005?2006 ドイツU-20代表
2006-2008 コートジボワール代表
2008 FCシオン
2009-2010 アル・アラビ
2010-2012 アル・スィーリーヤ
2013-2014 アル・アラビ
2014-2017 韓国代表
2017-2020 天津泰達
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウリ・シュティーリケ(Uli Stielike, 本名:ウルリッヒ・シュティーリケ, Ulrich Stielike, 1954年11月15日- )は、ドイツサッカー選手サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)、ディフェンダー(リベロ)[6]1970年代から1980年代にかけてヨーロッパで最も成功を収めたドイツ人選手の一人と評されている[1]
選手経歴
クラブ

地元のサッカークラブ・SpVgg 06 ケッチュでユース年代を過ごし[6]1973年2月にヘネス・バイスバイラー監督の率いるボルシア・メンヒェングラートバッハへ入団した[6]。同年6月9日に行われたVfBシュトゥットガルト戦でデビューすると[7]、この試合では敗れたものの2週間後の6月23日に行われたDFBポカール決勝の1.FCケルン戦に出場し優勝に貢献した[1]。2年目の1973-74シーズンからレギュラーの座を掴むとベルティ・フォクツユップ・ハインケスらと共にブンデスリーガ3連覇 (1974-75, 1975-76, 1976-77)、UEFAカップ優勝 (1974-75)、UEFAチャンピオンズカップ 1976-77準優勝 (イングランドのリヴァプールFCに1-3で敗退)に貢献した[1][8]

1977年、22歳の時にスペインレアル・マドリードへ移籍。サンティアゴ・ベルナベウ会長が獲得した最後の大物選手であり、ヘルベルト・ヴィマーとの契約のためドイツを訪れたベルナベウが、同じボルシアMGに所属していたシュティーリケのプレーを見て心変わりを起こし契約した[9]。レアル・マドリードでは守備的MFからスイーパーへコンバートされると、在籍した8年間に1977年からリーグ3連覇 (1977-78, 1978-79, 1979-80)、コパ・デルレイ優勝2回 (1979-80, 1981-82)、UEFAカップ1984-85優勝に貢献[1]ドン・バロン・アワードの最優秀外国人賞を最多の4度受賞した[1]

1985年からはスイスヌーシャテル・ザマックスへ移籍し、2度のリーグ優勝 (1986-87, 1987-88)、に貢献しクラブに初のリーグタイトルをもたらしたが[1]、膝の怪我が基で1988年に現役を引退した[1][10]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:112 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef