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市旗市章
位置
バイカル湖とウラン・ウデの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯51度50分 東経107度37分 / 北緯51.833度 東経107.617度 / 51.833; 107.617
歴史
建設1666年
行政
国 ロシア
連邦管区極東連邦管区
行政区画 ブリヤート共和国
市ウラン・ウデ
市長Gennady Aydayev
地理
面積
市域365.7 km2
標高530 m
人口
人口(2020年現在)
市域439,128人
人口密度 1263人/km2
その他
等時帯イルクーツク時間 (UTC+8)
郵便番号670000
市外局番+7 301
ナンバープレート03
公式ウェブサイト : ⇒http://www.ulan-ude-eg.ru/[リンク切れ]
ウラン・ウデ(ロシア語: Улан-Удэ; ブリヤート語: Улаан-?дэ)は、ロシアの東シベリアにあるブリヤート共和国の首都である。 バイカル湖の南東約100kmに位置する。人口は2020年現在で約44万人。 チンギス・カン時代にモンゴル帝国の版図になった後、1666年にロシア帝国のコサック部隊がウデ川(ロシア語名:ウダ川)の河畔に要塞を建設した。当初の名前はヴェルフネウジンスク(Verkhneudinsk)。現在のウラン・ウデ(「赤いウデ川」)の名称はソビエト連邦時代以降である。1891年には訪日の帰途に皇太子ニコライ2世が立ち寄った。 ロシア革命後には反革命軍、次いでシベリア出兵により日本軍がこの街を占領し、1920年にはソビエト政権による緩衝国家である極東共和国の首都となったが、1922年にソビエトが支配を回復した。1923年にはブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国の首都となり、以来、現在に至るまで地域の中心となっている。
概要
歴史