ウランウデ
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ウラン・ウデ
Улан-Удэ
Улаан-?дэ


市旗市章

位置

バイカル湖とウラン・ウデの位置
座標 : 北緯51度50分 東経107度37分 / 北緯51.833度 東経107.617度 / 51.833; 107.617
歴史
建設1666年
行政
ロシア
 連邦管区シベリア連邦管区
 行政区画 ブリヤート共和国
 市ウラン・ウデ
市長Gennady Aydayev
地理
面積 
  市域377 km2
標高530 m
人口
人口(2002年現在)
  市域359,391人
その他
等時帯イルクーツク時間 (UTC+8)
郵便番号670000
市外局番+7 301
ナンバープレート03
公式ウェブサイト : ⇒http://www.ulan-ude-eg.ru/

ウラン・ウデ(ロシア語: Улан-Удэ; ブリヤート語:Улаан-?дэ)は、ロシアの東シベリアにあるブリヤート共和国の首都である。
目次

1 概要

2 歴史

3 産業

4 気候

5 姉妹都市

6 出身有名人

7 外部リンク

8 脚注

概要

バイカル湖の南東約100kmに位置する。人口は約42万人[1]
歴史

チンギス・カン時代にモンゴル帝国の版図になった後、1666年ロシア帝国コサック部隊がウデ川ロシア語名:ウダ川)の河畔に要塞を建設した。当初の名前はヴェルフネウジンスク(Verkhneudinsk)。現在のウラン・ウデ(「赤いウデ川」)の名称はソビエト連邦時代以降である。1891年には訪日の帰途に皇太子ニコライ2世が立ち寄った。

ロシア革命後には反革命軍、次いでシベリア出兵により日本軍がこの街を占領し、1920年にはソビエト政権による緩衝国家である極東共和国の首都となったが、1922年にソビエトが支配を回復した。1923年にはブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国の首都となり、現在に至るまで地域の中心となっている。ソ連対日参戦後は多くの日本兵が連行されて強制労働に従事させられ、犠牲者の墓地もある(シベリア抑留)。

ブリヤート人はチベット仏教の信徒が多く、高台にはリンポチェ・バグシャ寺院がある。[2]近郊にあるイヴォルギンスキー・ダツァン寺院はロシアに於ける仏教信仰の中心になっている。
産業

シベリア鉄道の通過地であり、モンゴルウランバートルを経て中国北京に至る支線の分岐地としても重要である。

ウラン・ウデは、ソ連時代より航空機産業の中心地のひとつとされてきた。ソ連崩壊後、特にミル設計局ヘリコプター製造工場であったウラン・ウデ航空機工場は、現在では独自にMi-17の派生型等を開発・生産・輸出しており、ロシアの航空産業を担う大きな柱となっている。

名物料理は、ポーズィ (Бууза) 。概観は大きめの小龍包に似、餃子より厚めの皮に羊肉あるいは牛肉のミンチと玉葱などが中に入る。元々は祭日用に食したが、現在では市内の各地点で見かけられ日常的に食されている。ウラン・ウデのみならずブリヤート人の民族料理という見方が強い。
気候

ケッペンの気候区分では内陸型のステップ気候(BSk)に属し、夏は短いが比較的温度が上がり最も暑い7月の平均気温は19.8度にまでになる。日中は26.6度まで上がり、30度を超すことも多く、2016年7月には40.6度を記録している。冬は酷寒で、1月の平均気温はマイナス23.3度。平均最低気温は?27.6度で、時に?40℃以下まで下がることもあり、1931年1月には-54.4度を記録している。雨は一年を通じて少ない。

ウラン・ウデの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)?0.4
(31.3)8.4
(47.1)18.4
(65.1)28.7
(83.7)34.5
(94.1)40.0
(104)40.6
(105.1)39.7
(103.5)32.2
(90)24.7
(76.5)10.4
(50.7)5.2
(41.4)40.0
(104)
平均最高気温 °C (°F)?17.9
(?0.2)?10.9
(12.4)?0.3
(31.5)9.8
(49.6)18.7
(65.7)24.5
(76.1)26.6
(79.9)23.6
(74.5)16.5
(61.7)6.9
(44.4)?5


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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